大して何もしていないままあっという間に2泊3日の粟島の旅が終わりました。
夕日こそ見れなかったものの、粟島は最高でした。
やはり時間の流れが違う。
日々時間に追われながら生活していて、歩くことすら時間の無駄と思いあせる。
そんな私はゆったりと、あまりにもゆったりとしすぎた時間の流れに癒されました。
癒されたなんて軽いもんじゃない。
日々の我々の生活がいかにこじんまりとした小さなものであるか、
パソコンに向かってゲームして変な電波を24時間浴びながら生きていることがいかに不健全であるか
それを客観的に見ることができた。言葉では表しにくいが、我々の生活との違いを実感した。
ということで私は田舎に住みます(何
もともと都会的な遊びはあまり好きじゃないし、都会の娯楽なんて「あるから行く」程度のものしかないと思っている。
カラオケ、ゲーセン、ビリヤード、ボウリング、飲み、クラブ・・
それはスペースのない都会に無理やり設けられたいわば避難所に過ぎない。
公園のなかで思いっきり体を動かして遊ぶなんて場所もないし、まず時間もない、だからそういうとこいって発散してくださいというようなもんであると思っている。
都会の窮屈さに順応しなさいという、ごみごみした都会の不健全さの肯定である。
別に肯定が悪いわけでは全くない。都会を肯定する人はすればいい。ただ24年間生きてきて、私は「人間の住むところじゃない」と思っている。
ただここは私の故郷でもあり、当然肯定だってする。脳に与える刺激や情報が多いほうが、動物は頭がよくなるという。生まれたときから周りにいろんなものが置かれた環境で育ったマウスは、学習が格段に早い。
都会のカラスは田舎のカラスより頭がいいらしい。人間にも言えるかもしれない。哲学者に都会出身者が多いのはそのためかもしれない。
それに果てしなく便利である。新潟は2時間に一本しか電車が来ないこともあったが、ラッシュ時山手線は二分間隔である。ありとあらゆる交通手段が使える。
しかし、私はそんなことよりも人間としての、動物としての健全さに最も重きをおいている。
単純に脳の情報処理能力がアップしたとて、それをもって頭がいいとはいいがたい。パソコンならCPUが強いほど高性能だろうが、人間はパソコンではない。人間のCPU以外の部位を育てるにあたって、都会は何のアドバンテージもないと考える。むしろ、マイナス要素しかない。自然豊かな田舎に勝るものなど何もない。
そこの違いを、粟島に行って感じたのである。
その考えの上で、私は本当に将来田舎に住みたい。便利さなど全く必要としていない。都会で育った人が田舎で暮らせるわけがない、ただのあこがれだという人も多いが、私はただの憧れではないと、今は主張できる。実際暮らしてみて「ほらみろいわんこっちゃない」といわれそうだが。
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