実家の犬がなくなりました。
15歳、長生きでしたね。
私は色々あって、それ程愛着を持って
彼女と接してこなかったけれども、
あ、メスね。
それでも死というものは
感慨深いものだね。
赤ちゃんの時から知っている。
それこそこのブログにあげた。
最初は人を噛んでしょうがないみたいなことをね。
でも、とってもおだやかで、
とっても人懐っこい、みんなに好かれる可愛い犬でした。
彼女にとっての15年は、それはそれは長く、幸せな一生だったと思います。
最後までみんなに囲まれて、
手厚い介護を受けて
自分では立てないし、ご飯も食べられないのに
みんなが食べさせてくれて
最後まで愛情を受けて、安らかにいきました。
命の尊さというものを改めて感じます。
たまに思う
満員電車に乗ってると
新宿の街を歩いていると
なんと人間の多いことか。
それこそまるでモノのように。
そこらへんに転がるゴミのように
まるで人がゴミのようだ!
なんてムスカ大佐の名言のように。
でもその一人一人に、
とてつもなく重い歴史が刻まれていることを
とてつもなく重い命があることを
ふと思う
自分がどれほど苦労して今を維持しているか
先祖代々、どんな歴史があって自分があるのかを思うと
みんなそれぞれ、同じなんだなと。
すごく濃厚な人間の命がそこにあるのだと思うと
誰一人無駄にできないし
誰一人軽く扱うこともできないし
この社会とは果てし無く尊いモノであると
改めて思うわけです。
我が家の犬がなくなったことひとつをとっても
彼女の大型犬にしては長い15年という月日を考えても
命とは実に尊いものであると思いました。
そこに、その人のすべてが濃縮されている
みんなそれなりに苦労して生きている。
そのすべてが、その瞬間に濃縮されている
人の命を簡単に奪っていいことなどあるはずがない。
その人の歴史が、そこにすべて刻まれているのだから。
すべての命は等しく、重く、厚く存在しているのである。
軽視して良い命などない。
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