アミアンの大聖堂の上から街並みを眺めます。
屋外広告が全く見当たらない上に、建物の色調や高さも統一が取れており、美観も優れています。
フランスの観光地の写真を見直していると、街並みの美しさに感心することばかりです。
このブログでは、あまり批判的なことは書きたくないのですが、どうしても日本の歴史的建造物のそばの街並みと比較してしまいます。
お城などの歴史的建造物近くの大通りでも、屋上とかにデカデカと文字の入った巨大な屋外広告が幅をきかせているのは残念です。
地元の人は慣れているのかもしれませんが、国内外からの観光客にはもちろんのこと、更にいえばこれから生まれてくる地元市民のためにも、このような街並みを残したくありません。
なんとかならないものかと、いつも思ってしまいます。
愚痴はこれくらいにして、アミアンの街並みの写真を眺めていると、ひときわ高い歴史的建造物を見つけました。
確認してみると、鐘楼でした。
この鐘楼について、グーグルマップの口コミを元に調べてみました。
口コミからなので、情報の信憑性も低くなり、なおかつ自分の語学力も低いので(自動翻訳も問題あり)、内容には責任持てません。
まあ有名な大聖堂ならともかく、鐘楼ですので研究者のように読む方はおられないと思いますが(笑)
この鐘楼は全体で52mの高さです。
この内、画像では見えませんが、下部の基盤部分は高さ17mです。
その上にスレートで覆われた丸天井を持つバロック様式の鐘楼があり、更にその上には尖塔と風向計があります。
以前は鐘楼には11トンもの重さのマリーフィルミンと呼ばれていた鐘がありましたが、第二次大戦時の爆撃で破壊されました。
その破片は現在も残っているそうです。
今ではカリヨンが代わりに設置され、街中に美しい音を響かせているそうです。
ベルギーのブルージュみたいで、その音色に憧れますね。
歴史
1117年まで、この場所には古代ローマ時代からの砦があったらしい
1406~1410年 街の独立の象徴として、土台部分の建物がつくられる。現在の様式とは異なる鐘楼も建てられたらしい
1562年 鐘楼が火事にあう
1742年 再び炎の餌食になる
1748年 マリーフィルミンと呼ばれる鐘が鋳造される
1749年 今日の外観と同じ鐘楼が建てられる
1940年 第二次世界大戦の爆撃で鐘と屋根を失う
1989年 鐘楼の屋根が再建される
2005年 フランス北部の23の鐘楼の一つとして世界遺産に登録される
この建物は市議会議事堂や古文書保管所、武器庫や刑務所などさまざまな用途に使われました。内部には刑務所の時の落書きも残っているそうです。
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