らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

親父のラーメン年表

2008年08月21日 19時42分56秒 | 親父の人生・思い出
今日、昼飯に久しぶり『大砲ラーメン』で写真の昔ラーメンを替え玉追加で食った。親父、ラーメンはできれば毎日でも食いたい。ただ、大分はあまり味が合わない。

ラーメンとの始めての出会いは、小学校の時の正真正銘の家の近くを週一ぐらいで回ってくる夜鳴きそばだった。親父の親父がラーメン好きでチャルメラの音がすると兄貴と鍋を持って屋台を追いかけたものだ。味ははっきり覚えていないが、鼻をたれながら食ったのを覚えている。その後、夜鳴き屋台の親父は大津の柳ケ崎の水泳場で何者かに殺されたのも覚えている。
中学のころは、におの浜のパチンコ屋の隣にあった「来々軒」・「どさん子」と発売されたばかりのカップヌードル。
高校生の頃からアルバイトをしバイクもあったので色々な店へ行った。その中でも金の無い時にお世話になったのが「王将」ラーメンライスとタダ券で餃子300円あれば食えたと思う。それと忘れてはいけないのが「スガキヤ」である。ラーメン一杯が100円ぐらいやったと思う。
浪人以降は学生時分もずっと京都やったから、いろんな店でラーメンばっかりくっていた。その時代に出会ったのが、今は大きなチェーンになったが「天下一品」の北白川の本店だ。
それ以降は「ラーメン藤」「名門」「東洋軒」「夜鳴きや」「第一旭」「浜大津の屋台」書き出したらきりが無い。

そして、大分へ。今でも熊本まで「天下一品」のラーメンを食いに月1回行きます。帰りに「王将」で生餃子10人前を土産に。
大分で食うのは、今日行った「大砲ラーメン」と最近できた「太一商店」だ。ここは今まで食ったことが無い味だがパンチがあって癖になる。味は違うが初めて食った頃の「天一」の衝撃を思い出す。

いい時代になったもので、関西の味・九条ねぎまで注文したら次の日には胃袋にはいる。大分のラーメンはあんまり食わないが、全国のラーメンを楽しんでいる今日この頃です。

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