らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

元気でよかった

2008年07月21日 18時49分59秒 | 親父の人生・思い出
先ほど、いつものように近所のスーパーへ夕食の買出しに行った。そこで親父にお礼を言う人がいた。実は先週の休日に、会社へ見積もりをするため自転車で行き途中、歩道に座り込んでいる男性がいた。気になったが通り過ぎ、仕事をすませ30分後ぐらいに先ほどのところを通ると、まだ男性はいた。よほど調子が悪いらしく、炎天下だったので日陰までおぶり、横にした。話を聞くと47歳の日雇いの土木作業員さんで20日ほど仕事が無く、食事もままならないらしい。顔色も相当悪く本人も最初は嫌がっていたが、救急車を呼び収容してもらった。話は長くなったがその彼である。よく意識朦朧の中で覚えていてくれたものである。彼が何かお礼がしたいと言ったが、そこはカッコヨク「元気になったらそれでいいんや」と肩を叩いて立ち去った。親父も大分へ来たとき警備員をしたけど日当も安く、早く故郷へ帰りたかったので、毎日食費は300円やった。くず米を買って、おにぎり1個か猫飯やった。同僚や作業員さんが食堂へ行ったり・ほか弁を食べていても、恥ずかしかったんで隠れてめしを食ってた。落ちるところまで落ちたなと、思ったけど昼も夜も必死に働いた。今は何とか食いたい物食えるけど、もう一回あの頃を思い出して、贅沢せずに頑張ろう。彼は親父に助けられたと思っているかも知れんけど、モシカシタラ親父が彼に教えられたのかも知れないと思う。ありがとう。

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1 コメント

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Unknown (ky)
2008-07-21 19:02:10
よい話ですね。読んでいて、感動します。人のために尽くすより、人に迷惑をかけるのがかっこよいような風潮のなかで、心が洗われます。私達の世代は猫股(私の地方はそういいます)でも、食べるものがあればありがたかった時代。9割以上が麦で、鍋の底に僅かにある白飯をみんなで分かち合ったことを思い出しました。母親や父親は、いつでも、白飯は食べていあんかったこことふと思い出しました。今だったら、何でも食べてもらえるのに。親孝行したいときには親は無しです。いい話、ありがとう。
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