新古今和歌集の部屋

万葉集 よしとよく見て



よき人の  吉野よく
よしと     見よ
よく     よき人
 見て     よく
よしと     見つ
言ひし   天武天皇



万葉集巻第一 27
  天皇幸于吉野宮時御製歌
淑人乃良跡吉見而好常言師芳野吉見与 良人四来三
 紀曰 八年己卯五月庚辰朔甲申幸于吉野宮

淑き人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見
よきひとのよしとよくみてよしといひしよしのよくみよよきひとよくみ


奈良県吉野郡吉野町宮滝 伊勢街道の付近
吉野歴史資料館

コメント一覧

jikan314
Re:こんにちは!
sakura様
私はミミズがはい回ったような字しか書けず、書道は苦手です。習字の見本になるような紙屑は沢山所有していますが。
これは、吉野の民家に飾ってあったもので、「私はこの歌が好きです。吉野も好きです。」と言う声が聞こえたような気がしたのでアップしました。
石碑には何十万、何百万円も掛かりますが、これなら、百円程度ですが、道行く旅人に、「吉野の善きをよく見て下さい。」とアピール出来ますね。
sakura
こんにちは!
自閑さま
お習字もなさるのでしょうか?多才でらっしゃいますね。

万葉集巻一(二十七)には、説明の碑まであり、二基とも上野誠先生の碑、
先生はこの歌によほどの思い入れがおありのようですね。
そういえば、以前に参加した講座で、先生は吉野町に住んでいる。と仰っていました。

壬申の乱で勝利した天武天皇は、それから数年後に
一族を率いて吉野離宮に赴き、6人の皇子に未来永劫に
皇子たちが助け合うことを誓わせたあとに、この歌を詠んだとされていますが、
きっと天皇は上機嫌だったのでしょうね。
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