をいふ )
家集 二月のついたち頃に花まだしき程にならより
つくりたる桜をまぜくだ物のうへにかざして
つかはしたりけるをひとり見んがくちをし
さにむかひなる所に桜の梢のみゆるがまだ
咲ぬほどにあるじのもとへ比造花をつか
はすとて
君がすむ宿の梢のさかぬ間にめづらしかれと花奉る 頼政
かへし
みさへなりちらでやむべき花みれば宿の梢は待れざりけり
竹屋町通京極
真宗大谷派 小野山浄慶寺
…
この地は、おおよそ八百年前源三位頼政公の旧舘の地で、境内に残る
石地蔵は、当地の地主(その土地の守仏)として大切に受け継がれている。
辞世の句(平家物語巻第四 宮御最後)
埋木の花
咲く事もなかりしに
身のなる
果は
あはれなりける
(恋しかりける)
頼政道(三井寺より宇治に行軍した道)
家集 二月のついたち頃に花まだしき程にならより
つくりたる桜をまぜくだ物のうへにかざして
つかはしたりけるをひとり見んがくちをし
さにむかひなる所に桜の梢のみゆるがまだ
咲ぬほどにあるじのもとへ比造花をつか
はすとて
君がすむ宿の梢のさかぬ間にめづらしかれと花奉る 頼政
かへし
みさへなりちらでやむべき花みれば宿の梢は待れざりけり
竹屋町通京極
真宗大谷派 小野山浄慶寺
…
この地は、おおよそ八百年前源三位頼政公の旧舘の地で、境内に残る
石地蔵は、当地の地主(その土地の守仏)として大切に受け継がれている。
その他頼政旧跡
二条公園鵺池と鵺大明神祠
平家物語巻第四 鵺
其時じやうげてんでに火をともいて、これをごらんじみ給ふに、かしらはさる、むくろはたぬき、おはくちなは、手足はとらの姿なり。なく声鵼にぞ似たりける。おそろしなンどもおろかなり。しゆしやうぎよかんのあまりに、ししわうといふぎよけんをくだされけり。宇治の左大臣これを給はりついで、頼政にたばんとて、ごぜんのきざはしをなからばかりおりさせ給へるところに、ころはうづき十日あまりの事なれば、くもゐにくわくこうふたこゑみこゑ音づれてぞとほりける。其時さだいじんどの、
ほととぎす名をも雲井にあぐるかな
とおほせられかけたりければ、頼政右のひざをつき、左のそでをひろげ、月をすこしそばめにかけつつ、
弓はり月のいるにまかせて
と仕り、ぎよけんを給はツて、まかりいづ。「弓矢をとツてならびなきのみならず、かどうもすぐれたりけり」とぞ、きみもしんもぎよかんありける。さてかのへんげの物をば、うつほぶねにいれて、ながされけるとぞきこえし。
宇治平等院最勝院 源頼政墓
辞世の句(平家物語巻第四 宮御最後)
埋木の花
咲く事もなかりしに
身のなる
果は
あはれなりける
(恋しかりける)
頼政道(三井寺より宇治に行軍した道)
頼政塚(亀岡市 家来の猪早太が首を抱えて亀岡に葬った伝承)
源頼政筆コレクション