新古今和歌集の部屋

雑歌上 葵祭



新古今和歌集巻第十六  雜歌上

 いつきの昔を思ひ出でて

     式子内親王

 ほととぎす

そのかみ山の
    旅枕

ほのかたらひし
  空ぞ
   わすれぬ


コメント一覧

jikan314
Re:Re:こんにちは!
平家物語と葵祭について、お教え頂き有難う御座います。建礼門院より先に懐妊して清盛に嫌われた小督の子も、安徳天皇が生まれた事で、平家との和解が成立し、範子内親王の行列に加わったということでしょう。
ほとんど紫野斎院より外に出る事が無い幼き式子内親王にとっては、洛外の上賀茂は年に一度の旅だったのでしょうかと。
sakura
Re:こんにちは!
自閑さま

平家物語と葵祭について、
村井康彦氏の「平家物語の世界」徳間書店には、
治承3年4月21日に行われた葵祭に、小督の生んだ2歳の範子内親王が斎王として行列に従ったと書かれています。
この行列を後白河院や関白基房たちがそれぞれ桟敷を構えて見物していたそうです。
jikan314
Re:こんにちは!
sakura様
葵祭は、紫野を出発して、途中勅使の出迎えがあって、一条大路を東進下鴨に向かったとの事で、今の京都御所を出発するのとは、ちょっと違うようですね。
平家物語に葵祭が描かれているか知りませんが、四位中将が勅使役との事で、平家の公達も勅使したのでは?と思っております。重衡が四位中将でしたので或いは?と思ったりしていました。
勅使は、名家の御曹司の役であり、それがもうひとつの花でしたが、今の勅使役はお年寄りでしたのが残念です。
sakura
こんにちは!
自閑さま
式子内親王が斎王だった頃、斎王の行列は斎院を出発し、
下鴨神社で浄衣に着替え上賀茂神社へとパレードした後、
上社の神館に泊まり、翌日、斎院に帰ったそうですが、
葵祭は誰でも知っていますが、賀茂の斎院跡を
ご存じの方はあまりいらっしゃいませんね。

華やかなお祭りを見物すると気持ちが明るくなりますが、最近は中々行けません。
楽しく拝見させていただきました。
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