新古今和歌集の部屋

源氏物語 湖月抄 手習 荻原の露

 
 
  
                    中将の観●
ほしき心有ながら、ゆるい給まじきし人々゙
の事なるべし
に思さはりてなん過し侍に、よにこゝちよ
            屈也。中将の身の事也
げなる人のうへは、かくくしたる人のこゝろから
にや、ふさはしからずなん。物思らん人に思ふ
ことを聞えばやなど心とゞめたるさまに
        尼君の詞也
てかたらひ給。心ちよげならぬ御ねがひは、き
            手習君のさま中将の一具と也
こえかはし給はんに、つきなからぬさまにな
        手習の君をいふ也
んみえ侍れど、例の人にてはあらじと、いと
                    年老
√うたゝあるまで世を恨み侍めれば、のこり
たる人だに也
すくなきよはひの人だに、今はとそむき
頭注
世に心ちよげなる
心ちよげなる人は我
身にはふさはしからざ
ると也。此うけたまはる
物思ひのあるさまなる
人こそ吾心にはよ
くかなひたれど也。
浮舟の物思ふを中将
の一具なるといふ也。
 
 
れいの人いてはあらじ 
習の尼にならんといふ事也。
うたゝあるまで うた
てある也。√花と見て
おらんとすれば女郎
花うたゝあるさまの名
頭注
にこそありけれ
侍る時は、いともの心ぼそくおぼし侍し物
を、世をこめたるさかりにては、つゐにいかゞ
                      尼君手習
となんみ給へ侍ると、おやがりていふ。いりて
君のかたへいりていさめいふ也
もなさけなし。なをいさゝかにても聞え給
へ。かゝる御すまゐはすずろなることも哀し
るこそよのつねのことなれなど、こしらへ
      手習の詞也
ていへど、人にものきこゆらんかたもしらず
                     手習
なにごともいふかひなくのみこそと、いとつ
の心つよきさま也    中将也
れなくてふし給へり。まらうどは、いづらあ
な心う。√秋をちぎれるは、すかし給にこそ
ありけれなど、うらみつゝ
 中将
  松むしの聲をたづねてきつれども又お
 
頭注
世をこめたるさかり
世ごもれりと云詞と
おなじ。わかき人をいふなり。
 行末とをき心也。
おやがりていふ
尼君の実の母めき
ていふ也。
 
 
 
 
  
秋を契れる 前の引
哥をうけていへり。われ
を契り給との給ひし
ととり成てかこちく
る也。是は尼君のま
つちの山のとなん見給ふ
るといひし詞をとりて
頭注
中将のいふ詞也。
松むしの 松虫は尼君になしていへり。我身をまたるゝと思てきつれば我ほ
のめかす人はつれなき故に、その露にまどふよし也。松見氏は尼公にたとへて
見る也。尼の口引よろしきにきていへばと中将の哥也。分來つる野べよりこゝ露
はふかきと也。手習のなび
かぬをいふ也。
                     此哥を
ぎはらの露にまどひぬ。あないとおし。これ
だに見給へと也      孟手習の心也
をだになどせむれば、さやうによづいたら
んこと、いひいでんもいと心うくまたいひそ
めては、かやうのおり/\にせめられんも、
むつかしうおぼゆれば、いらへをだにし給
はねば、あまりいふかひなく思あへり。あま君
はやうはいまめきたる人にぞありける
なごりなるべし。
 尼君
  秋の野ゝつゆわけきたるかりごろも
むぐらしげれる宿にかこつな。となんわづ
 
 
頭注
あないとおし 中将をいた
はる心也。手習のつれなけれ
ばなり。
 
 
 
あま君はやうは
若き時はと也。尼公の
若き時は色々しき人の
名残にてかやうにいはるゝ
となり。
秋の野の 野べの露
にてこそあるらめ
此宿の露けさにては
あるべからずと也。
 尼君の哥也。又萩原
頭注
の露にまとひぬとあ
れば也。露しげける
宿は卑下の詞也。手習の
君の哥に尼君のよみ
なしたる也。次の詞わづら
はしかりきこえ給ふも
其心也。
                  手習の心也
らはしがり聞え給めるといふを、うちにも
猶かく心よりほかに、世にありとしられは
                  手習君の心中
じむるを、いとくるしとおぼす。心のうちを
をしらねばと草子地よりいふ也
ばしらでおとこ君をもあかず思出つゝ、戀
    尼たち也    尼の詞也
わたる人々゙なれば、かくはかなきついでに
も、うちかたらひきこえ給はんに、心より
   中将の事をいふ也
外に世にうしろめたくはみえ給はぬもの
  夫婦のかたらひにはあらずともと也
を、よのつねなるすぢにはおぼしかけずと
も、なさけなからぬほどに、御いらへばかり
はきこえ給へかしなど、ひきうごかしつべく
いふ。さすがにかゝるこだいのこゝろどもには、
ありつかず。いまめきつゝこしおれ哥この
 
 
 
 
頭注
わづらはしがり給ふと
むぐらの宿のとがとお
ぼさんと、煩はしがると也。
うちにも猶かく わづらは
しがりきこえ給ふと尼
君のいひなしたるにつけて
内にも手習ノ君も人にしら
るゝ事を煩はしくくるし
とおぼすと也。
おとこ君をもあかず 
習君の心中をばしらで中将
をも何とかなどこゝ人々の
思ふ故とり/"\にいふと也。
かゝるこだいの心どもには
古めきたる尼に似合
ず今めく也。双紙ノ詞也。
 

ほしき心有りながら、許い給ふまじきし人々に、思ひ障りてなん過
し侍るに、世に心地よげなる人の上は、かくくしたる人の心からに
や、相応しからずなん。物思ふらん人に思ふ事を聞えばや」など心
留めたる樣にて語らひ給ふ。
「心地よげならぬ御願ひは、聞こえかはし給はんに、つきなからぬ
樣になん見え侍れど、例の人にてはあらじと、いと√うたたあるま
で世を恨み侍るめれば、残り少なき齢の人だに、今はと背き侍る時
は、いと物心細くおぼし侍りし物を、世をこめたる盛りにては、遂
に如何となん見給へ侍る」と、親がりて言ふ。
入りても、
「情け無し。猶聊かにても聞こえ給へ。かかる御住居は、すずろな
る事も哀知るこそ世の常の事なれ」など、こしらへて言へど、人に
物聞こゆらん方も知らず、何事も言ふ甲斐無くのみこそ」と、いと
つれ無くて臥し給り。客人(まらうど)は、
「いづらあな心憂。√秋を契れるは、すかし給ふにこそありけれ」
など、恨みつつ、
 中将
  松虫の声を訪ねて來つれども又荻原の露に惑ひぬ
「あないとおし。これをだに」など責むれば、さやうに世づいたら
ん事、言ひ出でんも、いと心憂く、また言ひ初めては、かやうの折々
に責められんも、むつかしう覚ゆれば、答(いらへ)をだにし給は
ねば、あまり言ふ甲斐無く思ひあへり。尼君早うは今めきたる人に
ぞありける名残りなるべし。
 尼君
  秋の野の露分け來たる狩衣葎茂げれる宿にかこつな
「となん煩はしがり聞こえ給ふめる」と言ふを、うちにも猶かく心
より外に、世に有りと知られ初むるを、いと苦しと思す。心の内を
ば知るらで、男君をも飽かず思ひ出でつつ、恋ひ渡る人々なれば、
「かく儚き序でにも、うち語らひ聞こえ給はんに、心より外に世に
後ろめたくは見え給はぬ物を、世の常なる筋には思しかけずとも、
情けなからぬ程に、御答(いら)へばかりは聞こえ給へかし」など、
引き動かしつべく言ふ。流石にかかる古代の心どもには、有りつか
ず。今めきつつ腰折れ歌、好
 
 
引歌
※√うたたあるまで
古今集 雑体 俳諧歌
 題しらず  よみ人知らず
花と見てをらむとすれは女郎花うたたあるさまの名にこそ有りけれ
 
※√秋を契れる
新古今和歌集巻第四 秋歌上
 題しらず
                  小野小町
たれをかもまつちの山の女郎花秋とちぎれる人ぞあるらし

よみ:たれをかもまつちのやまのおみなえしあきとちぎれるひとぞあるらし 隠

意味:待乳山の女郎花は誰を待っているのでしょうか。秋には結婚を約束した人でもいるのでしょうか。

備考: 歌枕 待乳(真土)山 奈良県五條市と和歌山県橋本市の間の山(峠)で待つを掛ける。異本「秋を」。歌枕名寄。
 
和歌
中将
松虫の声を訪ねて來つれども又荻原の露に惑ひぬ
 
よみ:まつむしのこゑをたづねてきつれどもまたをぎはらのつゆにまどひぬ
 
意味:私をまっているだろう尼君松虫の声を頼りに尋ねて来たけれど、又荻原の露で道に迷ってしまった。
 
備考:大島本では、「はぎはら」。榊原家本、伝二条為氏本、肖柏本、三条西家本は、「をぎはら」。松と待つの掛詞。
 
考察
秋篠月清集(藤原良経)の歌に
つらからむなかこそあらめをぎはらやした松虫の声をだにとへ
と、源氏物語歌を本歌取りしていると思われる歌があり、新古今和歌集時代の源氏物語では、「をぎはら」だった可能性が高い。
また、平安時代に萩と松虫を取り合わせて歌にした物は西行の
露なからこほさでをらん月かげに小萩が枝の松虫の声
しか無く、取り合わせと言う点からも、「をぎはら」の可能性が高い。
なお、全集では、
①玉の小櫛は、「荻原といへるも古歌によりどころありげに聞ゆ」という。
②夕霧帖で、夕霧が小野を訪ねた際にも
 荻原や軒端の露にそぼちつつ八重たつ霧を分けぞゆくべきの歌を詠んでいる
事から荻原説を採用している。
 
 
尼君
秋の野の露分け來たる狩衣葎茂げれる宿にかこつな
 
よみ:あきのののつゆわけきたるかりごろもむぐらしげれるやどにかこつな
 
意味:秋の野の露を分けて来た着ている狩の衣の濡れているのを、葎が生い茂る我が宿のせいにしないで下さい。
 
備考:着たると来るの掛詞。狩衣は、小鷹狩りの縁でいう。
 
略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄  九条禅閣植通
※河 河海抄  四辻左大臣善成
※細 細流抄  西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄  牡丹花肖柏
※和 和秘抄  一条禅閣兼良
※明 明星抄  西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺
 

コメント一覧

jikan314
@atelier-kawasemi 翡翠様
情報ありがとうございます😃
ピーター・J・マクミランさんが出演とか。後でNHK+で見てみようと思います😃
百人一首って、百首が寺子屋の書道にちょうどよく、歌留多取りは、当時若い男女が数少ない出会いの場だったので、モテようと必死?に覚えました(笑)
落語も、一般町民が、意味を知らないと出来ませんよね。
百人一首乳母が絵解きは、拙コレクションにも有り、こんな綺麗な絵を庶民が買い求めて長屋に飾っていたなんて素敵ですね☺️
いよいよ冬到来ですね。年末セールのお手伝いも大変ですね☺️体調には十分御注意下さい😃
atelier-kawasemi
おはようございます(*^-^*)

先日、NHKで百人一首が長く愛される
要因は?みたいなのを見ました👀
競技かるたを初め、落語や絵画など
多岐に渡ってリメイクされて
外人の研究者の方が熱弁をふるって
おられました(^-^;

闇バイトなどが流行る原因は
ワカモノの想像力の欠如かと
思います(((uдu*)ゥンゥン
母国語である、日本語の豊かさや
詩歌の世界に心を遊ばせて
想像力を養ってほしいですね(・∀・)ウン!!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「源氏物語和歌」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事