新古今和歌集の部屋

都名所図会 青龍三 寂光院、朧清水 蔵書


おゝはらじやくくはうゐん
大原寂光院







寂光院は草生村にあり。原弘法大師の開基にして文治の頃建礼門院
 閑居し給ひしより今に至り尼寺となる。本尊地藏菩薩は聖徳太子
 の御作なり。則門院の御影阿波内侍の像あり。庭にはみぎはの池みぎはの桜有。
 平家物語   後白河法皇大原御幸の時
  池水にみぎはの桜ちりしきて浪の花こそさかり成けれ   後白川院
 此辺の垣を緑羅垣といふ。門院の御墳は後の山に有。これを翠黛山と
 いふ。不動千豁石石剱(ともに弘法 鎮守神明宮(うしろの山にあり。天の岩戸といふ
           の作なり ) 岩窟あり。落合の瀧は寂光院の前ニ有)
  ○建礼門院と申すは平相國清盛公の御女にして十五歳にて女御の宣旨を蒙り十六にて更衣
   のくらゐにそなはり廿二の御時皇子御誕生ある。是を安徳天皇と申奉る。平家の一門西海にて入水
   の時やう/\源氏の武士にたすけられふたゝび洛にかへり給ひ初は東山の麓吉田の辺に住せ給ひ
   廿九の御時かしらをおろしさまをかへさせられ文治元年長月の末に此寂光院へ入らせおはします。
 平家物語
  思ひきや深山の奥にすまひして雲井の月をよそに見んとは 建礼門院
 此地は常に寂寥として人跡まどほに洛のつてもすくなく春は漸軒の梅かほり庭
 の若艸しげりあひ青柳の糸風にもつれ山藤松にかゝりて花橘匂ふ頃は時鳥音信
 秋はいとゞ物淋しく心のまゝにあれたる籬は野辺より露しげく虫の音鳴つれる折
  かしがまし大原の里の轡虫手綱ひかへて法の聲きけ    建礼門院
   此御詠より此草生村には今もくつは虫鳴かずとなん。
臓の清水は寂光院のほとりにあり。むかしより名高きしみづにして和歌に
 詠ずること数多し。つねに湛々として月の影は清水にやどりて澄しみづは
 又月の皎なるをうつして清く良邁法師も此地に幽棲して月も浮まん
 大原やと吟じ寂然法師は月をぞやどす大原の里とながめしむかしも
 今さらに水の面にうかみ出るやうになん侍りける。
 新拾
  水草ゐし朧の清水底澄てこゝろに月の影はうかぶや   素意法師
    後鳥羽院かくれ給ひて大原におさめ奉るよし
   きこえければ
 續
  入月の朧の清水いかにしてつゐに澄べき影をとむらん  順徳院
 続後
  八重葎しげみが下にむすぶてふ朧の清水夏もしられず  匡房
 新千載
  わが恋は朧の清水岩越てせきやるかたもなきこゝろ哉  俊頼
 夫
  まれにこし朧の里に住なれて老も清水のあるじなりけり 丹後



建礼門院御陵

建礼門院に仕えた女房大納言佐局、治部卿局、阿波内侍、右京大夫墓

朧清水
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