念仏によつて、九ほんれんだいに生をとぐべしとて、くびをのべ
てぞうたせらる。日ごろのあく行はさる事なれ共、只今の御
有さまを見奉るに、数千人の大衆もじゆごのぶし共も、皆
よろひの袖をぞ、ぬらしける。くびをばはんにやじの、門の前
ぢしう
にくぎづけにこそしたりけれ。これは去ぬる治承の合戦の
時、こゝにこつ立て、がらんをやきほろぼし、給ひたりしゆへと
ぞ聞えし。北のかた此よしをきゝ給ひて、たとひかうべこそは
ねらるゝ共、むくろはさだめて、すておいてぞ有らん。取よせて
けうやうせんとて、こしをむかへにつかはれたりければ実もむ
くろは、かはらにすておきてぞ有ける。これを取てこしに入
日野へかいてぞかへりける。きのふまでは、さしもゆゝしげにお
はせしか共、かやうにあつき頃なれば、いつしかあらぬさまに
ぞなられける。これをまちうけて、見給ひける。北のかたの心
のうち、をしはかられてあはれなり。くびをば大仏のひじり、
しゆんぜうぼうにかくと宣へば、大衆にこひかけてやがて日
野へぞおくられける。さてしも有べき事ならねば其へん
ちかき、ほうかいじといふ、山寺に入奉り、くびもむくろも
けぶりになし、こつをば高野へをくり、はかをば日野にぞせ
られける。北のかたやがてさまをかへこきすみぞめにやつれ
はてゝ、かの後世ぼだいをとぶらひ給ふぞあはれなる。
平家物語巻第十二
一 重衡のきられの事
一 重衡のきられの事
念仏によつて、九品蓮台に生を遂ぐべしとて、頸を延べてぞ打たせらる。日頃の悪行はさる事なれ共、只今の御有樣を見奉るに、数千人の大衆も守護の武士共も、皆鎧の袖をぞ、濡らしける。頸をば般若寺の、門の前に釘付けにこそしたりけれ。これは去ぬる治承の合戦の時、ここにこつ立て、伽藍を焼き滅ぼし、給ひたりし故とぞ聞えし。
北の方、この由を聞き給ひて、例ひ首(かうべ)こそ刎ねらるる共、骸(むくろ)は定めて、捨て置いてぞ有らん。取り寄せて孝養せんとて、輿を迎へに遣はれたりければ実も骸は、河原に捨て置きてぞ有ける。これを取りて、輿に入れ日野へかいてぞ帰りける。昨日までは、さしもゆゆしげにおはせしか共、かやうに暑き頃なれば、いつしかあらぬ樣にぞなられける。これを待ち受けて、見給ひける。北の方の心のうち、推し量られて哀れなり。頸をば大仏の聖、俊乗房にかくと宣へば、大衆に請ひ掛けて、やがて日野へぞ送られける。さてしも有るべき事ならねばその辺近き、法界寺といふ、山寺に入り奉り、頸も骸も煙になし、骨(こつ)をば高野へ送り、墓をば日野にぞせられける。北の方やがて樣を変へ濃き墨染にやつれ果てて、かの後世菩提を弔ひ給ふぞ哀れれなる。
※俊乗房 俊乗房重源。大原問答で法然に師事。東大寺大仏の再建に尽力。日野と醍醐の間の栢杜の栢杜堂で九体丈六堂を造立している。
日野法界寺