榮花物語 巻第一 月の宴
昔、高野の女帝の御代、天平勝寶五年には、左大臣橘卿、諸卿大夫等集りて、万葉集を撰ばせたまふ。
醍醐の先帝の御時は、古今二十卷撰りとゝのへさせたまひて、世にめでたくせさせたまふ。
ただ今まで二十餘年なり。古の今のと古き新しき歌、撰りとゝのへさせたまひて、世にめでたうせさせたまふ、この御時には、その古今に入らぬ歌を、昔のも今のも撰ぜさせたまひて、後に撰ずとて後撰集といふ名をつけさせたまひて、また二十卷撰ぜさせたまへるぞかし。それにも、この小野宮の大臣の御歌多く入りためり。だだし、古今には、貫之、序いとをかしう作りて仕うまつれり。後撰集にもさやうにやと思しめしけれど、かれはその時の貫之このかたの上手にて、古を引き今を思ひ、行く末をかねておもしろく作りたるに、今はさやうのことに堪へたる人なくて、口惜しく思しめしけり。