新古今和歌集の部屋

唐詩選画本 夜別韋司士 高適




 夜別韋司士

        高適

髙館張燈酒復清夜鐘

残月雁歸聲只言啼鳥

堪求侶無那春風欲送

行黄河曲裏沙為岸白


馬津邉柳向城莫怨他

郷暫離別知君到處有

逢迎     田盛章 印


○かうくわんともしびをはつてさけまたきよし。やしやうざんげつかりかへるこゑ。たゞいふていてふともを
もとむるにたへたり。いいかんともすることなししゆんふうかうをおくらんとほつするを。こうがきよくり
いさごきしとなり。はくばしんへんやなぎじやうにむかふ。うらむることなかれたきやうしばらくりべつ
することを。しんぬきみがいたるところほうげいあらん。
 
是は手前の座敷ではないそうな結構な座敷へ灯をつけ酒も吟味してとりよせ夜の時のかねもせわ
しうつき月も西へかたぶく時節に雁のないて通る音などがきこへる。只啼鳥の友を求るにたへたりと
いふまでゝ何とも是非もない事は追付春に成と其えを送らねばならぬともをもとむるとはうら
はらじゃ。ゆくさきをおもひやつて黄河の曲りまがつて沙岸通りは路がそく/\して通りにくい
白馬津などは柳が城に向ひびつしりと植てあるをひとり見らればかなしかろうに他郷へゆか
るゝについてはしばらく別れてもかならずなげきやるな其元のやうなやうな才のすぐれた人はもて
はやして逢迎するものであると在る。

 夜別韋司士   夜、韋司士と別る

    高適

髙館張燈酒復清 髙館灯を張り、酒復た清し。

夜鐘残月雁歸聲 夜鐘残月、雁帰る声。

只言啼鳥堪求侶 只だ言ふ、啼鳥の侶(とも)を求むるに堪へたりと。

無那春風欲送行 那(いか)んともする無し、春風の行(こう)を送らんと欲するを

黄河曲裏沙為岸 黄河曲裏、沙は岸と為り、

白馬津邉柳向城 白馬津辺、柳は城に向かふ。

莫怨他郷暫離別 怨む莫かれ、他郷、暫く離別するを。

知君到處有逢迎 知る。君が到る処、逢迎有らん。

 

意訳
りっぱな高楼にあかあかと明かりを盛大に灯し、酌み交わす酒も清らかに澄んでいる。
夜更けを告げる鐘の音が聞こえ、残月が見えて、そして北へ帰る雁の無く声がする。
ただ、鳴き交わす春の鳥の樣に友を求めれば得られるものとばかり思っていたが、
春風が君の門出を送る今は、もはや留めるすべも無い。
黄河の屈曲する所は、河に沿って砂地の岸辺が続き、白馬津あたりの柳の並木は、路に沿ってこの城へ続いて芽吹いている。
怨むものじゃないぞ、他郷への別れを。
君の行くところは、君の人柄の良さで、暖かく迎えられくれる友人が必ず出来ると決まっているのだから。
 
 

※韋司士 不明。司士は、州・県に配属された土木事業を担当する役職。

高適(こうせき、? - 永泰元年(765年))は、中国唐の詩人。字は達夫。本貫は渤海郡蓨県。諡は忠。高崇文(高侃の子)の子として生まれた。李白と親交があり磊落な性質で家業を怠り、落ちぶれて宋州で食客となっていたが、発憤して玄宗の時に有道科に挙げられ、封丘県尉の役職を授けられた。その後官職を捨てて河右に遊歴し、河西節度使の哥舒翰に見いだされて幕僚となった。また侍御史となり、安禄山の乱で蜀に避難した玄宗に随行した。粛宗の命で、江西採訪使の皇甫侁とともに皇弟である永王李璘の軍を討伐平定した。後に蜀が乱れるに及び蜀彭二州刺史となり、西川節度使となった。長安に帰って刑部侍郎・散騎常侍となり、代宗の代に渤海侯に封ぜられ、その地で没した。この詩は、高適が若い頃、河南省封丘県の尉だった時と想像されている。

※長灯 灯火を盛大に灯す。

※無那 どうしようもない。

※白馬津 河南省滑県あたりにあった渡し場。どこにあったかは不明。

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