百首哥奉りし時 入道左大臣
いそがれぬ年の暮こそあはれなれむかしはよそに聞きし春かは
すべて歳暮の哥に、いそぐとよむは、來む年の始のまうせ
をいとなむこと也。春をはやく來よかしと、まつことゝ心得る
は、誤なり。此哥は、入道の御身なる故に、春の始のまう
けを、いとなむべきわざもなきよしなり。
土御門内大臣家にて海邊歳暮
有家朝臣
行年ををじまのあまのぬれ衣かさねて袖に波やかくらん
これは、海人の歳暮のさまを、思ひやりたる意也。かさね
ては、衣の緣にて、常に波にぬれたるうへに、年をゝしむとて、
又涙をやかけそふらんと也。或抄に、作者の身のうへの
意に注せるは、や°といひ、らんといへるにたがへり。
寂蓮
老の波こえける身にてあはれなれことしも今は末のまつ山
二三の句、今年も今はといふにかけ合ず。√又こえん身ぞあは
れなる、などぞいはまほしき。或は√又かさねてやこえ
ぬべき、などにてもなむ。
千五百番哥合に 俊成卿
けふごとにけふやかぎりとおもへども又もことしに逢にける哉
けふやかぎりは、歳の暮にあふも、今年や限ならんの意。
四の句ことしゃ、歳の暮の今日の意なり。二の句のけふと、
四の句のことしを、たがひに入かへて心得べし。三の句は、
おもひ來つれどもの意なり。いたく老たる人の心、まことに
此哥の如くなるべく、思ひやられて哀なり。
※或抄に
不詳