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山古志・のどかな村を襲った新潟中越地震において(その3・復旧への英知)

2022年06月12日 | 土木構造物・土木遺産


「あの日、山が崩れ、道が消えた」と表現されている中越地震(2004年10月23日発生)。山深い旧山古志村(=村)は土砂崩れ、地すべり、家屋はじめ構造物の倒壊が発生し、完全に道路が寸断。電気・水道のライフラインも断たれ、全村避難という選択を取らざるを得なかった。
そんな中で、まずは村へ入るための道路がなくては災害復旧はできない。そんな中で、特に被害の大きかった東竹沢地区村と小千谷市を結ぶ国道291号の復旧が大きなカギとなるが、この国道は県管理の補助国道扱いなので、直轄権限代行により長岡国道事務所(国)が復旧工事にあたることになる。
11月11日から緊急復旧工事に着手、雪深い土地であることから12月中に緊急復旧を終了。仮設道路の建設は、崩れ落ちた土砂や山の樹木を使うなどし、正に土木の原点を見るようだったとか。その後、翌年春から除雪作業を伴う本格的な復旧工事が始まり、山古志トンネルや新宇賀神橋の新設を含め、全面開通は2006年(平成18年)9月3日となる。早い!
(写真上:村内虫亀地区から望む山古志の風景と、国道291号の「中山トンネル(魚沼市方向・1998年開通)」)



ただ、村での心配はライフラインの寸断だけではなかった。前々回紹介したとおり、山崩れ土砂崩れで川に流れ込んだ土砂が、川の流れを堰き止める「河道閉塞(かどうへいそく)」による二次被害が下流・上流にも襲い掛かろうとしていたことだ。
すでに堰き止められた水は上流の集落に浸水被害をもたらして、被害を増大させていた。各地でポンプを設置し、下流に排水をするという作業が24時間体制で行われたほか、家屋を撤去させて河道を確保するという試みにより、徐々に溜まった川の水位は下がったという。
ただ、ここでも応急対策を施す必要がある。いつまた大雨や雪解けにより土石流が発生するとも限らないので、こちらも国土交通省北陸地方整備局・湯沢砂防事務所が村内9か所(1か所は県からの受託工事で、地すべり対策工事を含む)で工事を行っている。(村の中心を流れる「芋川」は信濃川水系魚野川の支流で一級河川。)
(写真上:村内東竹沢地区の土砂被害を伝えるパネル(やまこし復興交流館「おらたる」展示)と、河道閉塞による浸水被害が発生した木篭(こごも)地区(木篭・郷見庵展示))



砂防工事でも大事なのは工事用道路の設置。そのほかにも軟弱な地盤を改良したり、大雨による出水対策、そして何よりも豪雪地帯で工事が施工できる期間が限られていることから「スピード(工事期間の短縮)」が要求される。そんな課題の中、ここにも土木の粋(すい)が詰まった工法が用いられている。
「鋼製セル式砂防堰堤」は、円筒型に組み立てられた巨大な鋼製セル中に、玉石や礫(れき)、土砂を詰めたものをいくつか並べて堰堤を組むもの。この詰め物に土砂崩れなどで流出した土砂や現場内から発生する残土を利用するというもので、エコな工法でもある。(写真上:村内竹沢地区で)
また、「コンクリートブロック砂防堰堤」は、ブロックを堰堤の形状に積み上げたもので、地すべり地帯で用いられる工法。とにかくコンクリート製品を積み上げていくということから、早い!(写真上:村内神沢川上流で)

先に触れたように、故・長島忠美氏の村長としての孤独な決断もそうであるが、復旧作業においても、どこにどんな技術を導入するか、何を優先的に取り組むか、考えるのは「人」である。災害対応時には、人の英知が試されているといっても過言ではない。(山古志シリーズ=終わり)
(※前回、前々回の記事(その1、その2)ではカテゴリーを「まち歩き」としたが、今回(その3)は土木技術に関連する内容なので「土木構造物」とした。「土木構造物・土木遺産」の記事のみ、Facebookでリンクを貼り付けています。)




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