じんべえ時悠帖Ⅱ

北国街道、坂木宿

 先月末のJR東日本「5日間フリーパス」の後半は3日連続日帰りで

北陸新幹線を往復し、信州の北国街道ウォークとした。

 北国街道は小諸市の「追分」で中山道から分去れ(ワカサレ)し長野市

の善光寺を通り、越後の高田宿(上越市)までの約140キロ(35里)。

 広義には京都から高田宿までの北陸道も含み、加賀藩を始め北陸や

越後の大名たちが参勤交代で通った街道である。指南役は国交省長野

国道事務所発行の「北国街道 信濃二十二宿」である。

 10年近く前の千曲川ウォークで追分宿から矢代宿(千曲市)までは、

宿間のルートは多少違っても既に歩いているが、生地である坂木(坂城)

宿からスタートし長野駅まで歩いた。

 初日(9/28)は坂木(坂城)宿~矢代(屋代)宿の約12キロ(3里)。

北陸新幹線を上田で降りしなの鉄道(旧信越本線)で3駅、坂城駅へ。

駅前が坂木宿の入口の「鉤形」で、角の建物が問屋(トイヤ)跡。

坂木宿のメインロード

本陣跡は木造3階の「坂木宿ふるさと歴史館」となっている

本陣表門は何度か改築されているが土壁などの姿は当時のまま

茶色の道が北国街道、この坂木宿内に私の生家がある

本陣の先、旧家が続く、坂田家は名主

 二つ目の鉤形、右手の白壁の家が父の実家。江戸時代は旅籠だったかも

知れないがその後は戦後まで養蚕農家。大きな木造3階建てのほとんどは

お蚕様の部屋だった。今は建て直して樹脂成形業を継いだ甥っ子が住む。

 曲がった先、いわゆる出し梁の家。旅籠の造りである。2階から

真下の街道を見易くするためである。

 宿の出口あたり、このクランクは桝形だったかも知れない。

 しなの鉄道のトンネル付近。昔は葛尾山の山裾まで千曲川が迫って

いたので北国街道は山肌に造られた峠道であった。葛尾山頂の葛尾城主、

村上義清が甲斐の武田軍を何度か撃退したが遂には降伏した。

 その千曲川沿いに出る。国道18号を歩いて次の上・下戸倉宿へ向かう。


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