日航機墜落事故から三十七年、一度だけ、この8月12日に
御巣鷹山の昇魂碑を訪れたことがある。40分ほどの山道だが
真夏には堪える。高齢の遺族にこの猛暑はより堪えるだろう。
遺族の連絡会で事務局長を務める美谷島邦子氏は私と同じ
七十五歳。知床遊覧船事故被害者など、御巣鷹以降の多くの
事故被害者遺族との悲しみの共感に努めている。
当時九歳だった美谷島氏の息子、健君は大の高校野球好き。
中でも大好きなKK(桑田・清原)コンビのPL学園の試合を
観に行くため一人で日航機に乗り、関西の親族宅へ向かった。
残念ながらこの時PL学園が優勝したことを健君は知らない。
事故後、事情を聞いたPL学園は選手のサイン色紙や野球帽を
贈り健君の棺に収められた。
御巣鷹山の健君の墓標前には、健君の好物と一緒に、今でも
多くの野球ボールが置かれる。2014年にPLを破り優勝した時
の大阪桐蔭の中村主将などが慰霊登山している。
2007年8月12日