秋の叙勲で作家、北方謙三が旭日小綬章を受けた。叙勲
制度にについてはよしとするものではないが好きな作家が
受けるということはちょっと嬉しい気もする。
同じ昭和二十二年生まれ、そして同じ全共闘世代である。
「弔鐘はるかなり」で始まるハード・ボイルドシリーズ、
「水滸伝」などの中国歴史シリーズ、彼の著作の九割は
読んでいると思う。
今読んでいるのは「チンギス紀」で、今月第九巻が発刊
されるが、小説スバルに連載中のため四ヶ月に一度の発刊
となる。いつも図書館から借りているので手元にはなく、
前作を忘れるほど間が空くのが難点である。
さて、昨年春に日本橋から歩き始めた関東の中山道も、
昨日まで紹介した碓氷峠の麓、坂本宿で一応の完結。
その翌日は、上信電鉄沿いの「渋い」観光地を訪れた。
まずは上州一宮、貫前(ヌキサキ)神社である。武州一宮の
大宮氷川神社(さいたま市)と同じく、浅間山の噴煙と
夏至の太陽が沈む点を繋ぐ線上にあるという。
本当に大宮氷川神社と浅間山山頂を結ぶ線が、果たして
貫前神社を通るのか確認してみる。
上図のように数百メートル離れるが、浅間山の噴煙の
位置が山頂とは限らない上、当然ながら古代では目視での
話であるからこの程度の一致で十分であろう。
最寄り駅は上図のように上信電鉄の上州一ノ宮駅である。
高崎から下仁田への上信電鉄は、中山道高崎宿でも書いたが、
信州の佐久まで延伸計画があったので「信」の字が付く。
編成ごとに違うが、早朝6時半発の電車は派手な真っ赤な
色に花びらの車両である。
大きく弧を描いて碓氷川を渡り、一般方向の西へ向かい
出すと赤城山のシルエットが見える。裾野の長さは富士山
に次いで日本二番目という。
約40分で着いた上州一ノ宮は終点、下仁田の四つ手前。
今どき珍しく自動改札はなく、懐かしいハサミが入る切符。
貫前神社までは国道254号線を渡ってちょうど1キロ。
入口からは急な坂道、更にその先は七十段の石段。一段の
高さも高く、あと五段と言うところで息継ぎとなる。
その代わり上り切って見る景色は抜群である。右手奥の
山並みは八ヶ岳ではないだろうか。
フラットになった参道を進んで中門に着く。何と言う
ことだ、上った分をそっくり下る石段となる。
上りの疲れが残る足で慎重に下る。石段の途中に月読社
などの境内末社が建つ。楼門脇から拝殿に向かう。その奥
の本殿の千木は水平カットだから主祭神は女神、だが鰹木
は奇数の五本だから男神で矛盾する。
それもそのはず、この貫前神社の主祭神は武神である経津
主神(フツヌシノカミ)と農耕・機織りの神、比売大神(ヒメノオオカミ)
の男女神のダブルキャストなのである。
まだ8時前で境内は無人、社務所も閉まる中、ゆっくりと
見て回る。境内の樹木は多くが千年を越す古木と言う。
当たり前だが、帰りも上りと下りの石段が待つ。
上州一ノ宮駅に近づくと踏切の警報音が鳴り出す。そう
言えば帰りの電車の時間を見忘れた。下りかも知れないが、
上りなら大変だ、多分次は1時間後。
50メートル手前からダッシュをかけるが、駅に着く前に
上り電車が入る。だが窓口のオバサンが乗車証明を用意して
待っていてくれて間一髪セーフ。ヨタヨタと走る私が見えて
いたのだろう。
「一分停車するからゆっくりでいいよ」と聞いてホッと
一息つく。次回は城下町小幡の散策である。