世界遺産のマチュピチュは、日本からのアクセスは悪いが
なかなかの人気。行って来た、感動したという友人、知人も
多い。やはり皆、定年後である。
飛行機嫌い、登山嫌いの私にはトンデモナイところである。
北京の故宮(紫禁城)、台北の故宮博物館に社員旅行という
シバリで辛うじて行ったことがある程度である。
そんな私だが「天空の謎、マチュピチュ」というテレビ番組
(NHKBSP)を観て今や、マチュピチュ通である。
マチュピチュの立地、石造技術、文字を持たないインカ帝国
の情報伝達技術、多民族融和の国家戦略など、合計二十一の謎
をマチュピチュの遺跡から解き明かしている。
中でも、何故あっさりと滅亡したのか、そして、その滅亡後、
400年後に発見されるまでマツピチュは何故壊れなかったのかの
二つが特に興味深い。
インカには身体的な異形(障害)を神聖なものとする「ワカ」
という思想、文化がある。多くの異形の石製人形が残る。
攻め込んだスペイン人の白い肌や馬などの「異形」を崇めて
しまい、ほとんど抵抗しなかったことが滅亡の理由一つ。
インカ人は元々闘いを好まず異民族の融合でもまず和議から
入り、合意すれば贈り物さえすることもあっさり滅亡の理由の
一つであろう。
次に、400年も野晒しになったマチュピチュの街並みが崩壊
しなかったのは何故か。それは、優れた水理技術による。
都市の石樋の上水道、地下に隈なく完備された下水道技術は
ローマ帝国を凌ぐとも言う。
マチュピチュの都市部に隣接する段々畑の地下は、都市を
造った石材の欠片(ガレキ)、粗い砂、細かい砂、腐葉土の
順に積み重ねられ、どんな大雨も完全に排水する。
この水理技術によって尾根上と断崖の街、マチュピチュは
何百年もほゞ完璧に残ったのである。
盛り土するだけの日本の行政に比べ、何と進んだ考え方で
あろうか。
最後の二十一番目の謎は、マチュピチュの近くで最近発見
された壁画。6~7世紀のものというから、インカ帝国より
ずっと前のものである。
わかりやすいように着色されているが、青は人、赤はラマ、
黄色が「未知」である。この謎解きはこれからなのである。