今朝の天声人語で、二十三歳で戦死した詩人、竹内浩三を
紹介している。
映画監督が夢だったが陸軍に召集され、敗戦の年の4月に
ルソン島で命を落とした。飾らず、背伸びもせず、同調圧力
にも屈しない若き詩人、竹内浩三は、死後十年を過ぎてから
遺族が私家版の詩集「愚の旗」を出版し世に知られるように
なったという。
日本よ オレの国よ オレにはお前が見えない
七十数年経っても今の日本は同じだよ、浩三さん。
さて、4回目となった水戸観光ウォーク。弘道館から
泊まったホテル脇を通り、千波湖畔から偕楽園に向かう。
水戸京成ホテルの下半分と最上階は宴会場。コロナでも
一日数件の宴会予定がある。
更に坂を下ると水戸駅前からの広い国道50号線に出る。
歩道橋脇に立つ大銀杏は水戸市のシンボル。
太平洋戦争の終盤も終盤の8月2日未明、連合軍のB29、
160機が水戸市を空襲した。当時の人口の90%、5万人が
被災し300人以上が犠牲になった。
まさに水戸市は壊滅した。この銀杏も真っ黒に焼けたが、
その後、奇跡的に新芽が出て水戸市民を励ましたという。
道を渡ると、水戸藩初代藩主、徳川頼房が家康を祀り、
その後頼房自身も祀られた東照宮の鳥居が立つ。千波湖畔
に急ぎたいところだが、ちょっと寄ることにする。
水戸駅を抜けて桜川沿いを歩くと、千波大橋の手前の橋の
欄干に掛かる銅版画が興味深い。江戸時代、水戸城の下まで
千波湖が伸びていたことは、弘道館の係員との談話で聞いて
いたが、この絵はまさにその通りである。
千波大橋の交差点を渡ると、湖畔の南側のウォーキング
ロードが始まる。
初めて歩く千波湖畔、とにかくどこを眺めても絵になる
風景である。高く見えるのは水戸芸術館のシンボルタワー。
その左は国道50号線沿いの京成百貨店。
紫のチューリップ脇の東屋で早くも「チェアリング」と
する。いい風景を見ながら座ってチョイ呑み、である。
いつものワンカップではなく今日はウィスキー。
ボトルは、コンビニにある唯一プラスチック製の容器の
「JinBeam」だが、中身はちょっと高級なウィスキー。
この時のためにホテルの部屋飲みを残しておいたもの。
次から次と好ショット。何枚撮っても撮り飽きない。
広い湖畔道ではジョギングやウォーキングを楽しむ市民
が多く、左手にも千波公園の緑が広がる。
対岸の高台の森は偕楽園、名所の好文亭が見える。街中
で見つけた数少ないカラーマンホールも好文亭。
やがて千波湖の西の端に着いたようでカフェなども
見えて来る。水戸と言えばの黄門様の光圀像が立つ。
ここから偕楽園に向かうには桜川、国道、常磐線などを
一気に渡る歩道橋、偕楽橋に上がる。
渡った先は九十九折の坂道。その途中に弘道館で見た
「大日本史完成の地の碑」が立つ。光圀後も歴代藩主が
編纂を続け、二百五十年後にこの地で「三百九十七巻」
の完成をみたと書かれる。
偕楽園見物の前に昼食とし、唯一の食事処兼土産店に
入り「納豆ぶっかけ蕎麦」を注文。合わす冷酒は、水戸
に入って以来よく目にする「一品(イッピン)」。
お運びのお姐さんが、ここは「一品」が経営する店で、
店の前に座っていたのは何と社長という。その社長が来て
注文のお礼の挨拶。なんだか擽ったい。
という訳で、今日は何とか偕楽園まで紹介したかったが、
そろそろ時間切れ。何せ、この日600枚も撮った写真を整理
しながらなので時間がかかる。
明日こそ偕楽園、主に好文亭である。