じんべえ時悠帖Ⅱ

水戸観光最終、偕楽園

 今年の1月から2月にかけて、石牟礼道子の「苦海浄土」、

ユージン・スミス夫妻の写真集「水俣」を紹介した。

 コロナ禍における「自粛」の精神が、水俣病闘争の患者の

「のさり」の考え方に重なるという記事が発端だった。

 水俣のチッソ病院の医師が、水俣市などで多発する奇病と

水銀の関係を報告してから12年後の1956年に水俣病が公式に

認定されてから65年経つ。

 未だに患者認定を巡って千七百人の裁判が続き、新たな

認定請求の数も千四百人に上る。

 国際条約「水銀に関する水俣条約」制定の際に、条約名と

前文に水俣を入れるよう提案したのは日本政府、2009年の

「水俣病被害者救済法」では「能う限り救済する」と謳って

いる、にも拘わらずである。言うこととやることが全く違う。

 認定請求者の中には、初期の「闘う患者たち」に対して、

水俣の恥と言って石を投げつけた人たちがいたとしても、

救われなくてはならない。それが「のさり」である。

 

 さて、5回目となった「水戸観光ウォーク」の最終回は

偕楽園。第九代水戸藩主の徳川斉昭が弘道館と対で作った

のが偕楽園である。学んだ後は「偕(トモ)に楽しもう」。

 食事処の前が偕楽園の東門。正門はほゞ反対側である。

他にも南門、西門、御成門がある広い敷地である。

 入った右手は名物の梅園、もちろん今は葉だけである。

左手が千波(センバ)湖へと続く斜面。

 梅の時期にはさぞかし込んだだろうが、コロナ禍の今年、

あの中国語は聞こえなかったことだろう、と思った瞬間に、

その中国語らしきものが聞こえるではないか。

 少し後から同じ東門から入ったのだろう、数人の一団が

大きな声で喋っている。後で近くに来た時に「中国から?」

と英語で訊くと、一族の長女らしき女性が「日本に住んで

います、2回目です」と流暢な日本語が返って来る。

 恐れ入谷の鬼子母神である。

 ほゞ一直線に好文亭を目指す。というより右手の梅園を

除けば、自然と好文亭に向かうようになっている。

 好文亭の門の手前に立つのが「偕楽園記碑」である。

斉昭の直筆で偕楽園建設の主旨などが書かれる偕楽園記

だが、上部の偕楽園記のデザイン文字以外、碑面は全く

判読不能。見えたとしても漢字の羅列の漢文らしい。

 裏面には今の公園管理の原形とも言える六か条の禁則

が彫られると言う。

 好文亭への小さな門を潜ると反対側に茅葺の立派な

門が建つ。正面入口から来るとここから入るのだろう。

 中国人家族の後を追うように好文亭に入る。ここでも

改めて入場料が掛かるが老人は半額。

 「好文」は梅の異名、学問に励めば梅が咲き、学問を

廃すれば梅は咲かず、という中国の故事によるという。

 Caution  Refrain from sliding your feet on the wood

floors to avoid getting splinnters.

 日本語と併記されたこの「注意」、getting splinters

が「とげが刺さる」と判れば、sliding your feet  が

「すり足」であることが判る。

 この好文亭、各部屋の襖絵はほとんどが梅である。

 庭の趣も好い。

 「対古軒」と名付けられたこの広間は、平安時代の

三十六歌仙、凡河内躬恒(オオコウチミツネ)の古歌、

 世を捨てて山に入る人

      山にてもなお憂き時はいずち行くらん

に対し斉昭が後半を、

      山にてもなお憂き時はここに来てまし

と詠んだことから来ている。

 ここは招かれた人々が休んだり、茶席に入る前に心気を

静めるための部屋と言う。 

 急な階段を上って上の階に行くが、その踊場の陰には

藩主や要人をッ警護する者が詰めたと言う小部屋がある。

 まずは茶坊主控室。

 そして斉昭の居室「楽寿楼」、太い竹の床柱は珍しい。

 「楽寿楼」は論語の、

    知者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ

    知者は動き 仁者は静かなり

    知者は楽しみ 仁者は寿(ナガラエ)る

から来ている。即ち、楽は水、寿は山を表し、よって

楽寿楼は、山と水の双方を楽しむ楼と言うことになる。

 この論語の一行目は、上州小幡城下、織田信長の次男、

信雄(ノブカツ)が五万両をかけたという名園「楽山園」の

由来でもあったことを思い出す。

 何と言ってもこの楽寿楼からのこの眺めが全て。

 好文亭を出て斉昭の子である慶喜のブレーンだった

原市之進の顕彰碑などを見ながら一路東門へ向かう。

 光圀と斉昭を祀る常盤神社、東湖神社によってから

桜川沿いを歩いて水戸駅に。この日は早朝散歩を含め、

合計12キロの水戸観光ウォーキングとなった。

 まだまだ見どころの多い水戸である。この次の計画は

坂東三十三ヶ所(観音)巡りの続き、茨城の四山である。

いずれも水戸を経由するので、また来ることがあるかも

知れない。これで水戸観光シリーズ「完」である。


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
そうですね、撮影禁止の表示は全くありませんでした。
昔、撮影禁止でも係員の目の届かないところで撮ったことはありますが、
最近は監視カメラもあるでしょうね。
jinbei1947
ワイコマ様
贅を尽くした建物は年月が経ってもいいですね。
昨日書き忘れましたが、茨城県は偕楽園のリニューアル・アクションプランを
まとめています。
題して「歩く庭から過ごすエリアへ」、どこか民間に作らせたのかも知れませんが、
なかなかよくまとまっています。
えめ
有難うございます。よく室内での撮影が許可されましたね。
ykoma1949
水戸観光といえば、偕楽園。日本三大公園の一つ
兼六園や後楽園も広いが偕楽園ほどではないと
思うくらいに広い公園でした。
好文亭は今も変わらず、当時の記憶が蘇り懐かしく
ウキウキと拝見させていただきました。
>>何と言ってもこの楽寿楼からのこの眺めが全て<<
まさにそのとおりですよね~ 素晴らしい眺めに
しばし時を忘れます。
そして200年なのか300年なのかその時を経て
歴史の人と同じ場所に立ち、遠くの景色は違えども
やはりこの景色を素晴らしい・・と故人を偲ぶ
事ができた瞬間でした。
懐かしい偕楽園を・・ありがとうございました
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