じんべえ時悠帖Ⅱ

自分は幸せあるいは不幸せ?

 自分に長所があると思う人は(ある意味)不幸である。他人がそれに

気が付いてくれないと、普通の人以上に傷つく。だから自分は短所だらけ

と思うほうが生きよい。たまに褒められればそれを僥倖として喜べる。

 結局、人はみずから思うほどに幸福でもなければ不幸でもない。

 今朝の朝日「折々のことば」(鷲田清一)、十七世紀のフランスの公爵、

ラ・ロシュフコオ(「箴言と考察」)を超編集した。

 

 宿が取りやすい日曜日に一泊して日光例幣使街道の3日目と4日目を

歩いて来た。冬並みに冷え込んだが天気は良く快調な?ウォーキングと

なった。3日目は木崎駅からスタート。

 着いた下り線側は小さいながらも駅舎があって有人駅だが、構内の

踏切を渡った下り線側は無人駅。スイカをタッチして「出場」となる。

 駅から例幣使街道までは1キロちょっと。しっかり着込んでは来たが

しっかりと寒い。焼きまんじゅう屋さんの看板、まさかスケべー?いや

スケヒラだろうね。

 だが、後で調べると江戸時代から「すけべいや」と言うらしい。地元では

「すけべや」と呼ぶ。とにかく上州名物だそうだ。

 前回ゴールの木崎町交差点の道標。例幣使街道と銅(アカガネ)街道の

交わるところ。銅(または銅山)街道は足尾の銅を運んだ道である。

 街道である県道312号を進むと「さいとう接骨院」が木崎宿の本陣跡。

面影は全くないが、その先の宿場らしい旧家が目立つ。

 この旧家の対角当たり、街道をちょっと入った貴先神社。大国主の

命の后、須勢理比売姫(スセリヒメ)を祀ることから后→貴先→木崎と地名の

元になった神社だが、木崎はキザキと濁る。

 街道に戻ったすぐ先が長命寺。寺自体よりも門の手前の「色地蔵」で

有名とな。60軒の旅籠に飯盛り女が260人もいたという木崎宿。例幣使

街道で最も賑わった宿と言われる。その飯盛り女の信仰が篤かったという

地蔵様ゆえ「色地蔵」というらしい。

 街道はほどなく宿場碑がたつところで左に折れる。その先は県道

とは違う旧街道の風情。

 今日も左手に赤城山系を見ながら歩く。続きは次回。


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