本音を隠し「賛成」、「反対」
2015年7月16日
米国の元国務長官・キッシンジャーだったか、「日本人は安全保障の問題に無知だ」、「日本人に戦略的思考ができるか。多分ノーだ」とかいったことがあるそうです。その話を読んで、「失礼な奴だ。日本人をバカにしている」と、ハラが立った記憶があります。今回の安全保障関連法の衆院可決までの流れを見ていると、そういわれてもしょうがないのでは、と思われてきますね。
与野党に共通する体質ですね。安全保障問題に国民は過敏な反応を示すから、与党は本音を隠して、国民感情をあまり刺激しないように進める。選挙の時期の論議は避けるか、タイミングずらすのがいい。重大な変更を進めてきたのに、「国民はあまり心配しないでいいよ」、そんな感じですね。野党は野党で対案を示さずか、示せず、とにかく「ハンターイ」と、連呼していれば、与党にダメージを与えられると信じこんできました。
4,50年前の安保感覚
国際情勢が無秩序化し、中国、ロシア、北朝鮮が乱暴な振る舞いを続けているのに、国際秩序を安定させる米国の力が落ちているのに、日本は4,50年前の感覚でいるようですね。どこで危機が起きてもおかしくない時代ですよ。危機がきてからでは遅いので、危機の前から手を打っておかなくてはなりません。日本一国だけで自国を守れない危機もあるでしょう。だからグループを組んで対応しなければならないこともあるでしょう。
委員会で採決の瞬間、野党議員が「強硬採決反対」のプラカードを掲げて、委員長席に詰め寄るシーンをテレビが写していました。わざわざテレビカメラのほうにプラカードを向けていました。民主党幹部の女性議員が涙を浮かべていました。演技ですね。国会もテレビのバラエティー番組になってしまいました。国会周辺では、支持者たちが「戦争法案反対」と叫んでおりました。本来ならば、問題国の大使館前で「侵略反対」、「埋め立て反対」と、先にやるべきだったでしょうね。
安保論議より憲法論議に傾斜
今回の論争は二つの軸があったと思います。ひとつは今のままの安全保障体制で、危機の時に日本を守れるのかということ、もうひとつは、憲法の平和路線との関係をどう考えるかということでしょう。前段の軸が争点から次第に消え、後段の軸がクローズアップされました。おおざっぱにいえば、与党は前段、野党は後段でかたまり、かみ合わない論争が続いたのではないですか。
これまで何度か、ブログで触れたように、反対陣営は「国際環境は今後も心配はない。だから憲法の平和路線を変えることも、憲法改正も必要ない」、「国際環境に懸念はある。憲法上の厳しい制約があるので、憲法およこれまでの憲法解釈を守ることを優先せざるを得ない」、「国際環境は心配だ。憲法を改正してから対応する。改正できるまで待つ。何かが起きたら、犠牲を覚悟で我慢する」のどれなのでしょうか。
さらに倒閣運動へと傾斜
これにはバリエーションはいくつかあります。「日本が一徹に平和主義を守り、他国にそれを標榜しておくことがもっとも安全。米国の戦争にも引きずり込まれなくてすむ」。あるいは「安全保障政策の修正は必要だけれども、安倍首相のような国家権力主義者のもとでそれを進めると、日本の安全保障上の行為が拡大解釈され、かえって危険」という考えかたもあるでしょう。
さらにいえば、「日本は卑怯といわれようが、なんといわれようが、出すぎたことはしない。リスクをとらず、平和国家のふりを続けて、もっとも安上がりの道を選ぶ」です。もっと割り切っているのは、「いざという時は、超法規で対応する。法律無視のなんでもありだ。緊急時だから国民も文句はいわない」です。思考停止ですね。こうした本音の安全保障論議はありませんでした。途中から国会論議が倒閣運動に変質してしまったからです。
安倍政権がみずから議論を混乱させた点も多分にあります。首相は「国民の理解が進んでいる状況ではない」といいました。それなら強硬採決をすべきではありません。強硬採決しておいて、「これからも丁寧に説明していく」は、いくらなんでもないでしょう。自衛隊の海外派兵は、「例外としてホルムズ海峡での機雷掃海に限定する」と強調してきました。例外というより、日本が得意な「機雷掃海」による平和的な貢献を、安保法制改革のセールスポイントにしてきました。
ホルムズ海峡の危機は遠のく
イランは欧米と核拡散の抑止で、歴史的合意に達し、欧米は経済制裁を解除する方向です。中東の軍事的緊張が緩むことが期待されます。「ホルムズ海峡の機雷封鎖、中東原油の途絶よる経済危機、集団的自衛権の行使へ」という安倍政権が得意とする説得のシナリオはどうなるのでしょうか。
「最高裁の砂川事件判決から集団的自衛権の行使が容認されるに至る」という流れもおかしかったですね。この判決当時「集団的自衛権に対する問題意識などは念頭になかった」というのがまともな解釈でしょう。公明党との協議を担当していた高村副総裁が憲法解釈上、集団的自衛権行使への道筋をつけたとされ、自慢げでした。その後、法曹界からも、強引な解釈に批判が高まったのに、安倍政権は強硬突破でした。危うい選択をしました。後に重大な争点に浮上するかもしれませんね。
いつもは、異論反論ですいません。
今回は表現の言葉は違えども、論旨は殆ど同感です。
美味しい羊が草を食んでいて、それを襲うオオカミは地球上に存在しないのでしょうか。
社会では、美味しい羊がオオカミに変身することを心配しているのでしょうか。