聞きしにまさる壮絶な行です。
「千日回峰行」。
吉野の大峯山で千日回峰行の史上2人目となる満行を達成した塩沼亮潤さん。
往復48キロ、標高差1,300メートル超の山道を、開山の時季に毎日一人で歩き、9年間で1,000日となる。
片道24キロの内4キロ歩いた後は獣道。
幅30センチの獣道は途中5センチも足を踏み外せば、一気に30~40メートル下の谷底に転落する危険が。
毎日、暗闇を照らす小田原提灯と杖を持って真夜中の午前0時半に標高364メートルの蔵王堂を出発し、1,719メートルの山頂に到着するのが午前8時半。
持ってきたおにぎり2個を口に流し込んで、9時過ぎに下山開始、午後3時半にはお堂に帰ります。
掃除、洗濯をして床に着くのは午後7時、そし起きるのが午後11時半といいますから睡眠時間は4時間半。
1,000日の行で大きな苦難はなんだったのか。
1つ目は、20回程あった熊との遭遇。
振り向けば、目をランランと輝かせた熊が、10メートル程の距離から急接近してきたことも。
そういった時は、冷静に熊に立ち向かっていくことによって、熊が逃げていったといいます。
2つ目は、同時に2つの台風が襲来した時に、手に持っていた杖を地面に刺した途端真っ二つに折れて、大きな石と折れた杖の半分が谷底へ転がり落ちて行ったこと、コンマ何秒の差で命拾いだったと。
そして3つ目が、高熱と下痢に襲われて8日目となる495日目。
始めて1時間の寝坊をして、獣道に入った頃には手にしていた提灯はどこかに失くし、更には顔から地面に叩きつけられるように転び生死をさまよったこと。
もう時は既に2時間の遅れとなっており、死をも覚悟したそうですが、助けられたのは聞こえてきた母の声、19歳で故郷を離れて修行に出た時の母の言葉『砂を噛んでもやり通せ。』です。
誘われるように砂を噛んでみたら、あまりの不味さに吐き出したのですが、それをきっかけに一気に情熱が全身に湧きだし、立ちあがり走って山頂まで『もっと苦しみを与えてみろ。』と叫びながら駆け抜けることができ、いつもと同じ時刻に山頂に着くことができたそうです。
もう神がかりとしかいえません。
『今日よりも明日、明日よりも明後日と自分を成長させたい。』、『不断の情熱をもって行を行いたい。』、『そうすることによって心穏やかになりたい=悟りを開きたい。』と精進を重ねることは、世のため人のために現世の生き方を説く生業を実のあるものにする基礎だと語る塩沼さん。
母への、祖母への思い、紐帯が、にこやかに語る満面の笑みを包みます。
びしんコミュニティホールで今日開催された『福聚山慈眼寺住職「塩沼亮潤」大阿闍梨」の講演会』は、満員の聴衆が塩沼さんの語り口に引き付けられました。
「千日回峰行」。
吉野の大峯山で千日回峰行の史上2人目となる満行を達成した塩沼亮潤さん。
往復48キロ、標高差1,300メートル超の山道を、開山の時季に毎日一人で歩き、9年間で1,000日となる。
片道24キロの内4キロ歩いた後は獣道。
幅30センチの獣道は途中5センチも足を踏み外せば、一気に30~40メートル下の谷底に転落する危険が。
毎日、暗闇を照らす小田原提灯と杖を持って真夜中の午前0時半に標高364メートルの蔵王堂を出発し、1,719メートルの山頂に到着するのが午前8時半。
持ってきたおにぎり2個を口に流し込んで、9時過ぎに下山開始、午後3時半にはお堂に帰ります。
掃除、洗濯をして床に着くのは午後7時、そし起きるのが午後11時半といいますから睡眠時間は4時間半。
1,000日の行で大きな苦難はなんだったのか。
1つ目は、20回程あった熊との遭遇。
振り向けば、目をランランと輝かせた熊が、10メートル程の距離から急接近してきたことも。
そういった時は、冷静に熊に立ち向かっていくことによって、熊が逃げていったといいます。
2つ目は、同時に2つの台風が襲来した時に、手に持っていた杖を地面に刺した途端真っ二つに折れて、大きな石と折れた杖の半分が谷底へ転がり落ちて行ったこと、コンマ何秒の差で命拾いだったと。
そして3つ目が、高熱と下痢に襲われて8日目となる495日目。
始めて1時間の寝坊をして、獣道に入った頃には手にしていた提灯はどこかに失くし、更には顔から地面に叩きつけられるように転び生死をさまよったこと。
もう時は既に2時間の遅れとなっており、死をも覚悟したそうですが、助けられたのは聞こえてきた母の声、19歳で故郷を離れて修行に出た時の母の言葉『砂を噛んでもやり通せ。』です。
誘われるように砂を噛んでみたら、あまりの不味さに吐き出したのですが、それをきっかけに一気に情熱が全身に湧きだし、立ちあがり走って山頂まで『もっと苦しみを与えてみろ。』と叫びながら駆け抜けることができ、いつもと同じ時刻に山頂に着くことができたそうです。
もう神がかりとしかいえません。
『今日よりも明日、明日よりも明後日と自分を成長させたい。』、『不断の情熱をもって行を行いたい。』、『そうすることによって心穏やかになりたい=悟りを開きたい。』と精進を重ねることは、世のため人のために現世の生き方を説く生業を実のあるものにする基礎だと語る塩沼さん。
母への、祖母への思い、紐帯が、にこやかに語る満面の笑みを包みます。
びしんコミュニティホールで今日開催された『福聚山慈眼寺住職「塩沼亮潤」大阿闍梨」の講演会』は、満員の聴衆が塩沼さんの語り口に引き付けられました。