自燈明・法燈明の考察

戦争について雑感

 ウクライナにロシアが侵攻し、とうとう紛争が始まってしまいました。この2022年という年は、様々な事が噂されている年ですが、こんな事になるとはと、私は少し不安にもなっています。出来れば早期収束で、戦争状態が終わってくれる事を祈る気持ちです。

 ロシアのプーチン大統領は、状況によっては核兵器の使用も辞さないという様な発言をしているとも、一部の報道でありますが、やはり人類という種族は、争いを止める事が難しいのでしょうか。

 こんな状況の中ですが、安倍元総理はアメリカの日本国内基地への持ち込みを容認するという発言をしたそうですが、これは何を考えているのでしょうか。


 日本には「非核三原則」という「建前」が存在します。私がこれを建前と呼ぶのは、果たしてアメリカ軍が核兵器を日本には持ち込まないなんて、実際には不可能だと考えていますし、恐らく原潜搭載とか、爆撃機に搭載する為に日本国内の基地に保管している事があっても不思議では無いと考えています。
 持ち込んだところで、軍事機密とされていれば、日本国政府には手も足も出ない事は、容易に想像が出来ますからね。

 核兵器を持てば、確かにその国の独立維持をする事には有用に働く事は、充分に考えられます。それは軍事方面では「核抑止論」として既に理論が構築されている事から考えても、けして間違ではありません。
 北朝鮮があれだけ飢えた貧困国家にも関わらず、何故核兵器を持つ事に執着したのか、それはこの国家としての自主独立を守りたかったからに他ならないからです。

 では今の日本も核兵器を独自に持つ事はしなくても、アメリカ軍が核兵器を持ち込むことを許容して、あたかもアメリカ軍の核抑止の傘に入ることが良いことの様に考えるのはどうなのか、私はこの安倍元総理の思考には、とても残念な気持ちを強く持つと同時に、ネット上で賛成の声が日本人の中に多い事を見て、やはりこの「平和ボケ国家」は、とてもヤバい状況で有ることを確信しました。

 こういった思考は、何も安倍元総理に限られた事ではなく、自民党の高市政務会長も、対中国に対する勇まし気な発言にも、同様の事を感じています。
 また最近では「敵基地攻撃能力を持つべきだ」なんて事を、安易に発言している政治家もいますよね。

 私は、日本が世界の他の国と同様に、自国の独立のために軍を持ち武装する必要があるとは考えています。しかし今の日本の政治形態で、果たしてまともにシビリアンコントロールが出来るのか、危機管理能力を持ち、それを遂行するだけの能力が果たしてあるのか、そこについては大いに疑問を持っています。

 私は日本が、自分たちで自国の歴史に対する総括をしていない。特に明治以降の近代史については、全くなされていない。

 ここに私はその根本的な問題があると考えているのです。

 思い返してみれば、近代国家として日本が成立して百数十年が経過しています。明治時代の日本は、日清・日露戦争を必死に戦い、勝ちの形を作ることによって、当時の世界の五大国まで急速に上り詰めました。そしてそれにより、幕末期に諸外国と結ばれた不平等条約を改正することまでやり遂げたのです。これはある意味で稀有な事であったと思います。

 しかし結果として、これ以降に太平洋戦争にボロ負けするまでの間、日本は負けることがありませんでした。これにより帝国陸海軍の中には歪な「常勝不敗」の奢りが強くなってしまい、己の立ち位置が見えなくなってしまったのかも知れません。

 また日清・日露戦争を通じて日本はイギリスとの繋がりを強固にしました。そしてロシア帝国とも戦後に繋がりを強く持つことが出来ました。しかしその後、ロシア帝国はロシア革命によって倒されてしまい、イギリスとの間についても、アメリカがアジアで特に中国の権益を狙っていた事もあり、そこからイギリスへの働きかけもあり、同盟関係は解消されてしまいました。また世界の流れは帝国主義から民主主義へと移行を始めていましたが、その認識も無かったようで、様々な要因から日本は国際的に孤立する方向に追い詰められて行ってしまったのです。

 この辺りは国家のインテリジェンスの能力が著しく欠如していたとしか言えず、それが真珠湾攻撃の際、日本の暗号電文がアメリカに筒抜けとなってしまう事態にも繋がっています。
 そしてその戦争に於いても、例えばインパール攻略戦では、あまりに無策な作戦であったことから、戦死者とはいえ大半が餓死者という、有り得ない結果を招きましたが、当時の軍部首脳は何ら責任すら取っていません。

 いま巷には「自虐史観」と呼び、先の戦争を見直そうという言葉もありますが、そこにはこういう負の側面を反省し、その責任所在を明確にするという議論が為されていないのが問題です。過去にあった大きな失敗の原因を認識せずに、国家として武装再現の本格化なんてありえないでしょう。

 また政府首脳の政治家たちにしても、憲法9条の戦争放棄の言葉と共に、アメリカ軍の傘の下の安逸を平和と誤解し、何ら国家の危急状態を知りもせず、単なるリップ・サービスでイサマシ気な言動ばかりが目立っています。そんな言動する割に、彼らが危急時に指導力を発揮できるか、甚だ私は疑問を持っています。

 先の安倍元総理の言質は、如実にそんな日本の政治家の能天気さを表していると、私は思えるのです。

 これからの世界は、更なる変化に晒されていきます。従来の認識で動ける世界では無いかもしれません。その事から戦争という事についても、単なる憲法護持を呟くだけでは避けきれない時代がくるかもしれません。


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