自燈明・法燈明の考察

会合をまたぞろ始めようとしてますね

 関東地方の梅雨明けは八月にずれ込むのではないか、そんな話も出始めている様です。何か今年の気候は、今までと違う様な気がするのは、私だけでしょうか。またこの四連休から「Gotoトラベルキャンペーン」なるものも始まりましたが、新型コロナウィルスが再度感染拡大を始めている時期に、日本の政府は何をしているんでしょうか。

 今の日本社会には不可解と思う事が多くあります。

 今月より創価学会では会館で会合を開始しました。そして九月には小単位の会合も開始させる様です。恐らく創価学会としては、早めに会合を立ち上げて、活動家達を、この先何時選挙があっても、動かせる状態にして置きたいのかもしれません。



 最近の報道で、早期の衆議院解散に否定的な報道が出ていますが、一方で聞く処によれば、公明党や創価学会の末端組織では、次の衆議院選挙に向けたポスター掲示も進められているという話もあります。

 この辺りの実際の信濃町の思惑はどうなのか、私は解りません。

 ただ一つ思う事ですが、現在、新型コロナウィルスの感染拡大は、国内はもちろんの事、世界的にも終息の兆しすら見えていません。ここ数日の間でも、国内で感染者増加の傾向が出てる状況があって、先の「Gotoトラベルキャンペーン」も迷走した状況を露呈しています。

 感染拡大に見える状況の中、経済活動を模索する。
 これは社会の経済活動を維持する為ならば、いざ知らず(それでもかなり問題がありますが)、こういった危険な時期にも関わらず、宗教団体が自分達の宗教活動の為に、人々を集める行動を指示する事に、私は大きな疑問を持っています。

 経済活動に関する制限は、人々の仕事を制限する事に通じます、そしてこれはつまりそれらの人の生活収入をスポイルする事にも通じます。では宗教団体の活動をスポイルする事は、経済活動とは異なり、一言で言えば、人が社会生活する上では実際には何か実影響を与える事なのでしょうか。

 もし影響があるとすれば、宗教で禄を食む、昔流の言葉で言えば「売僧(経を読み収入を得る、職業宗教家)」に対して位なものでしょう。まあ創価学会という側面から言えば、活動家を放置する事で公明党の集票活動に影響を心配する、信濃町周辺にいる宗教貴族と言われる人達に限定された事かと、私は思うのです。

 そんな事の為に、高齢化が進む組織の活動家をそれぞれの地域の拠点に集め、活動を再開する事が、果たして良しとされるのでしょうか。そもそも高齢化した活動家の中には持病(基礎疾患)を持つ人もそれなりに居ます。そしてそんな人達の中で、ひとたび新型コロナウィルスの感染拡大が発生した場合には、多くの人が重症化してしまう可能性も高いばかりではなく、地域に多数のクラスタを発生させてしまう可能性もあるのです。

 現に以前に韓国に於いても宗教団体の中で、クラスタが発生して問題になりましたよね?

 果たしてそんな状況で、創価学会として会合再開をさせて良いのでしょうか?

 と、、、こんな事を考えて、創価学会の組織の中で声を上げても、所詮は無駄なんですけどね。

 活動家幹部の一人ひとりに、こういった危険性の話をすると、理解する姿勢を見せますが、一方で信濃町から指示される事は「絶対性」を持っているので、それに反する行動を実際取る事は容易ではありません。何故なら、それは「広宣流布」という、壮大な活動をスポイル(制限)させる事に通じるという事で、要は創価学会の信仰を止めてしまうという、心理的な負担を課す事でもなります。
 この事は、活動家になればなるほど、行動を止める為の心理的な負担が大きいからに他なりません。だから結果、一人ひとりは問題ありと考えても、学会活動に関する事は、それとは別な事と考えてしまい、結果、無視される傾向があるのです。

 本来ならば「下意上達」を是として公言している組織なんですが、実際には宗教という強みを持って、人々を無意識のうちに「上位下達」を強いる構造なんですよね。

 でもまあ、少しは考えてほしいもんだと思います。



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