自燈明・法燈明の考察

リアリティについて

 ここ数日は寒い日が続いてますが、皆さん、体調はいかがでしょうか。私は朝、布団から抜け出るのがとてもしんどくて、グズグズと布団の中でする時間が増えています。
 私事、今朝かたですが、会社で利用するカバンを無くしてしまうという夢を見ました。夢占いで調べてみると、自身に不安を感じている現れだとか。確かに仕事で逼迫してますので、日々様々な事に不安を抱え、ストレスが貯まる毎日なのですが、それの表れなんでしょうか。
 カバンの中には財布や会社PC、様々なモノを入れてますので、夢の中とは言え大慌て。目が覚めて「ああ夢だったのか」とホッとしました。思わず夢の中で無くしたカバンを手に触り確認しました。

 夢というのは、思い返すとリアリティ感が少し足りないと思いますが、皆さんは如何ですか?

 目が覚めて「ああ、夢で良かった」と安堵するとともに、この目が覚めた時のリアル感に、落ち着く感じも私はしたりするのです。

 さて本題です。
 このリアリティですが、臨死体験者の多くが臨死体験でのリアル感について、この現実世界よりも強くあるという事を語っています。臨死体験については、医療関係者の中では、死に際して苦痛を和らげるための脳内麻薬により引き起こされた幻覚の様なものだという話がありますが、「プルーフ・オブ・ヘブン」の著者であり、自身も臨死体験をしているアメリカの脳外科医、エベン・アレクサンダー氏によれば、自身が臨死体験をしていた当時のカルテを確認し、脳機能が消失している事を確認している事から、全ての臨死体験が、この脳内麻薬説では解決しないと述べていました。

 いまの世の中では、臨死体験やそれに伴う、所謂「死後の生、死後に体験する世界」というのは、強く否定されています。要は死んだら人生、はい、お終いという思想がベースとなり、今の人類社会というのは出来上がっているのです。だから人は死を忌み嫌うし、また死を考える人は宗教により説かれる死後の世界に縛られ、操られてしまいます。

 私は「死後の世界」については肯定的に考えています。理由はこの人生だけで終わりとするには、人の心は奥深く、あまりに複雑で、かつ情緒的だと思うからです。

 今の天文学では、この宇宙は出来てから135億年経過していると言われています。それに対して人生とはたかだか八十年前後と、とても短い時間です。この大きさの違いを私個人が認識する事として、お金の金額で換算して考えてみた場合、八十円と百三十五億円を比較してみたりします。すると如何に人生とは宇宙に対すれば極微な存在かが解ります。

 しかもこの135億年という期間も、現代の科学の中で割り出した年数であって、実際にどの程度の年数が経っているのか、実は本当のところ判っていないんですよね。そう考えると、はたして高々八十年前後で自分という存在が消えるものなのか、それこそ疑問に思えます。

 私も今や五十代の半ばになりました。これはつまり、あと二〜三十年前後で、この死後の世界の存在の有無や、よく言われる輪廻転生の事実について、恐らく経験をする事になるのでしょう。その為にも、事前の心の準備とか、心構えについては、そろそろ考えておくべき年齢かなとも思うのです。

 恐らく多くの臨死体験の経験者が語る様に、死後の世界というのは、今の現実以上にリアリティがあるのかもしれません。今の人生の中で感じる様々な格差と言うのも、そこの視点から考えたら微々たる事なのかもしれません。もしかしたら死後に感じる事は、夢から醒めた様に、この人生すら夢の一幕の様なものかもしれませんね。

「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

 これは豊臣秀吉の辞世の句ですが、そんな事を考えたりしています。


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