自燈明・法燈明の考察

日本沈没を見て考えた事

 私はNetflixを契約していて、暇な時には映画を観ています。
 偶に深夜まで観てしまい、嫁には小言を言われてしまうのですが、ついつい、のめり込んだりして気が付くと深夜という事がよくあるのです。

 そんな中、Netfilx originalという「日本沈没2020」というアニメを見ましたが、正直、このアニメにはがっかりしました。始めは追い込む様に様々な出来事を主役の家族を襲うのですが、途中から変な宗教団体が登場し、何かストーリーが胡散臭くなってしまい、最後には何か無理やり感動さえようという展開になっていて、何やら覚めてしまった感じです。


 この日本沈没ですが、元々はSF作家の小松左京氏の小説があって、1973年に映画化されました。当時、小学生だった私は、兄が小松左京氏のファンであった事もあり、一緒に映画を見に行った記憶があります。はてさて当時の映画はどうだったのかと、amazonプライムで見ましたが、出演している俳優が丹波哲郎、小林桂樹、藤岡弘、夏八木勲など、錚々たる人達で、その演技に思わず一気見してしまいました。

 1973年の映画では、特撮技術は当時の最高レベルであったそうですが、今から見るとかなり安っぽさを感じてしまいます。しかしそれを俳優の演技力でカバーしてあまりある感じでした。

 さてこの日本沈没では、とても興味深い事が取り上げられています。それは「日本人」と「日本の国土」という事です。

◆国土について思う事
 私達日本人は、普段何気なく日本という島国に生活していて、国や国土という事をあまり意識して生きてはいません。しかしもし「日本の国土」が無くなってしまった場合、日本人は果たしてどの様に生きて行けるのでしょうか。

 この日本沈没では、日本という島国が、地殻変動によって海の底に沈み消失してしまいます。その中で一部の日本人が国際社会の中で、バラバラになって生きて行く事になるのです。こうなった場合、日本社会も世界から消えさる事になり、各国に分かれた日本人はそれぞれの国の中で、それぞれの国の文化に同化し、それぞれの民族の中で生きて行く事になります。

 民族や文化、そして宗教が異なるという事は、今まで日本国内で「常識」と考えていた事が通じなくなるばかりではなく、日本人は「国土無き民族」として生きて行かなければなりません。思うに日本人が他の民族、例えば同じアジア人の中で見た時、漢民族や朝鮮民族などと比べると、「押しが弱い民族」である事は、長い間、島国の中で他民族からの蹂躙というのを経験した事が無いという事に由来するのではないでしょうか。

 果たしてそのような日本人が、大陸の中で強かに生きてきた他民族の中で、どれだけ文化や民族性を維持して行けるのか、これはとても難しい事なのではないでしょうか。

 この「国土無き民族」として長年に渡り生き抜いてきた民族としては、ユダヤ民族がいます。彼らユダヤ民族は世界各地で強かに生き抜いてきたという事は、こういった観点から考えた時、ものすごい事なのかもしれません。ヨーロッパで生まれたロス・チャイルド家などは、今や世界的な大資本の家系ですが、その淵源はユダヤ民族です。また中東にあるイスラエルは、小さな国ですが、時としてアラブ諸国を相手に過激ともとれる軍事行動を行う事も、こういった「国土無き民族」として生き抜いてきた民族としての歴史が背景にあっての事だと思います。

 今の世界にはこの「国土無き民族」というのは他にも多くいます。イラクとトルコ国境付近に居る「クルド人」、近年、ミャンマーで迫害されているロヒンギャ族等。恐らく世界中を見たらきりがない位、こういった民族はいるでしょう。

 私達日本人は、こういった「国土無き民」という民族の現実を理解していません。だから竹島が戦後に実行占拠され独島と呼ばれ、尖閣諸島周辺で中国の海警公船が侵犯を繰り返し、北方領土がロシアに占領されたままでも、それほど危機感を覚える人が居ないのかと思うのです。

 それだけではありません。
 近年に至るまで対馬の土地が韓国企業に購入され、自衛隊の基地に近接する土地が購入されている事や、北海道の水源地を中国企業が買い占めているという現実についても、あまり気にしている人が居ないのです。

 今回、日本沈没の映画を観た時に、この日本人が住む島国の日本という国土について、もう少し大事だという意識を持つ必要があるのではないか。そんな事を考えてしまいました。

◆国家主義について
 ここで民族と国土という事について少し書きましたが、もう一方の観点で考えた場合、戦争という人類の愚行の原因の一つに、この民族と国土が関係している事も考えてしまいます。

 今の日本人の中に「トラウマ」ではありませんが、明治維新から太平洋戦争に至るまでの間、「大和民族」「神州日本」という言葉で、時の政府(太平洋戦争前では軍部政府となりましたが)から戦争に駆り出され、多くの日本人が苦しみ、死んでいっただけではなく、アジア諸国の多くの人達に対して多大な惨禍をもたらしてしまったという意識があります。

 「皇国日本」を第一義と捉え、その権威や意志を第一と考えるという「国家主義」ですね。

 その事への反動もあって、今の日本国憲法が出来上がったという事があるのかもしれません。憲法前文には以下の宣言があります。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

 現在の人類社会の中でも、多く諸国民は確かに平和を求めています。しかしそれが「国家」という単位になった時、その間に果たして「公正と信義」というのがあり得るのか、そこを考えると、人類社会はいまだこの憲法前文通りに日本人として生存できる状況ではないと思うのです。

 であれば、日本人として生きて行く為には、やはり「国」「国土」というのは、とても重要な事なのではないでしょうか。つまり日本人の掲げる「理想」に対して、いまだ「人類社会の現実」は追いついていないという事なのでしょう。

 創価学会の池田会長は、以前に行ったスピーチの中で「(日本社会の中に)国家主義が台頭し始めている」と語りましたが、社会の中で「国や国土」を考えていくと、どうしても国家主義というのはその社会の中に台頭してきてしまうのです。

 しかしその一方で、近年の地球環境の変動や、人類社会の抱える問題は、国家を無くして人類の共通益という視点を持たない限り、解決できる事は一つもありません。

 実に人類の中に抱える「大きな矛盾」とは、こういった処にあるのです。しかしその矛盾を解決できる段階に、どうやら未だ人類は到達していない状況でもあるのです。そんな事をつらつらと考えると、こういった事への大きな行き詰まりを感じてしまいます。

 この「日本沈没」という物語には、そういった根深いテーマが提示されているのではないでしょうか。



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