さて、前の記事で如来寿量品について少し説明しました。この如来寿量品には様々な意義が込められていて、それは大乗仏教の中で最も重要な事であると言われています。その事について今回の記事で少し考察してみたいと思います。
◆成仏観の大転換
五百塵点劫という、途方もない遠い昔に釈迦は既に成仏をしていたという事。これは仏教の中で言う成仏という観点に対して、大きな転換を与える考えだと思います。
まず釈迦の観点で考えてみます。
釈迦はコーサラ国の属国の釈迦族の王子として、約三千年近く前にこの世界に誕生しました。生まれた時に母親に先立たれた事も影響してか、青年に成長した釈迦は内省的な若者であったと思います。だから王子という立場で何不自由の無い生活に満足せず、「生老病死」という人生の根源的な問題の解決を決意して出家したのでしょう。伝説では29歳で出家してのち、苦行林の修行を経て、菩提樹の下で瞑想し、そこで「生老病死」の解決する「悟り」を得たと言います。その時、釈迦は35歳。この時から悟りを得た人として「仏陀」と呼ばれたのです。
この29歳出家、35歳成道というのは、仏教では一般的な捉え方です。そして仏教を信奉した人達は、皆が「悟り(成仏)」という事を求め修行に励んできたともいえるでしょう。
大乗仏教に於いてもそれは同様です。諸説ありますが、大乗仏教とは紀元前後(西暦0年前後)に興り、成立したのは紀元一世紀末と言われています(これには諸説ありますが、ここではこの年代として話を進めます)。
大乗仏教とは、大きく言えばそれまでの部派仏教の出家者を中心とした原始仏教とは異なり、仏教の中で釈迦の過去世の姿として語り継がれていたジャータカ伝説をもとに、釈迦も過去世で修行をした結果、今世で成仏出来たのだから、全ての人は仏になる事が出来る。そしてこの宇宙には多くの仏が存在するという教えです。
ただしやはり仏になる(成仏する)ためには、暦劫修行と言いますが、生まれる度に修行を重ね、長い時間を経て解脱をして仏になるというものでした。
この大乗仏教の中で、法華経が成立しはじめたのは、大乗仏教が成立したあたりと言われていますが、この法華経についてどの様に成立したのか、そこは明確ではありません。一説には仏教徒の中で、釈迦から直接説法を受けたいというムーヴメントが興り、そこでは人々が釈迦に会う為に瞑想したと言います。そしてその中から「瞑想中にお釈迦様にあって、そこではこういう内容の話を聞いた」というものが多くあったと言います。これを今でいう「メモ書き」の様なもので記録し、それらが集まり体系化する中で、法華経は成立したというのです。
ではこの法華経の如来寿量品で明かされた成仏とは、どういう事なんでしょうか。五百塵点劫という途方もない過去に、釈迦は既に成仏していたという事になると、ジャータカ伝説等で語られていた過去世の釈迦の求道の姿も、実は成仏した後の姿であり、釈迦は成仏した後でも生きる上での様々な苦悩を感じ、法を求め、場合によっては身を供養してきたという事になります。
それまでは、長い時間。それこそ幾つも生まれ変わる中で修行した「結果」が「成仏」という姿であったはずが、既に「成仏」した姿が、その後の苦悩の中に法を求め、修行していく姿にであったという事になります。
ここから言えるのは、単に人生の苦悩「生老病死」を克服して、超絶した存在が「仏」という事ではなく、生きる事に苦悩し、そこに意味を求め、法を求めながら人々の中で生きていく存在が「仏」となったのです。釈迦の過去世の姿は仏教の中で法を求める人の姿でもあり、そこから考えると、私達一人ひとりも「元来から仏である」という事を示す事にもなるのです。
この事を一言で言えば「目的から存在自体」へと、仏という事が転換した。そういう事なのかもしれません。
◆仏と衆生という事について
法華経の如来寿量品というのは、読むほどに、とても不可思議な内容なのです。この如来寿量品を説法している釈迦とは、法華経の方便品第二から説法している釈迦であり、それは「始成正覚(この世界で悟りを開いた仏)」の釈迦でした。
しかし一方で、如来寿量品の釈迦は久遠実成の釈迦であり、過去世に「燃燈仏」であった事もあるという仏で、五百塵点劫の昔に成仏してから様々な仏としてこの世界で説法してきた事を明かします。
ここから考えると、例えば燃燈仏として説法していた釈迦も、実は久遠実成の釈迦なのですが、その燃燈仏から法を聞き、来世に釈迦仏として成仏する儒童梵士(じゅどうぼんし)も突き詰めていえば久遠実成の釈迦なのです。
こうなると「久遠実成の釈迦」というのは、一体ぜんたい、どの様な存在なのでしょうか。
ここで思う事ですが、日本の仏教では「本地垂迹説」というのがあります。これは仏教が日本国内で興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考え方の事です。
すこし内容は異なりますが、久遠実成の釈迦と、今から三千年近く前にインドに生誕した釈迦は、ある意味で「本地垂迹」という関係性に近いものがあるのではないでしょうか。
自分と他者、そして仏という関係を考える上で、実は参考になる書籍として、アメリカのニール・ドナルド・ウォルッシュ氏が書いた「神との対話」というものがありますので、少しそちらを見てみます。
◆「神との対話」に見る神との関係性
この「神との対話」というものは、題名だけみるとキリスト教的な内容では無いかと思うかもしれません。しかし実は著者のニール氏の内省的な経験に基づいた内容が書き記されているのです。ニール氏は自分自身の人生が行き詰まり、その問いを自分の心の内面に向ける中で、この神との対話が始まったと言います。
この著書の中で神と人間との関係性について、以下の様な話が載っています。
「あなたがたの宗教で、「人間は神の姿をかたどり、神に似せて創られた」というのは、そういう意味だ。これは、一部で言われているように物質的な身体が似ているということではない(神は目的にあわせて、どんな物質的な身体にもなることができる)。そうではなくて、本質が同じだという意味だ。わたしたちは、同じものでできている。わたしたちは、「同じもの」なのだ。同じ資質、能力をもっている。その能力には、宇宙から物質的な現実を創出する力も含まれている。」」
ここでは神の語った話として、神と人間は同質であると述べています。この「神との対話」で言う神とは以下の様なものだと言うのです。
「「まずはじめにあったのは、「存在のすべて」、それだけだった。他には何もなかった。その、「存在のすべて」は、自分自身が何かを知ることはできない。なぜなら「存在のすべて」ー、あるのはそれだけで、ほかには何もないから。他に何かがなければ、「存在のすべて」も、ないということになる。「存在のすべて」は、裏返せば「無」と同じだった。」」
ここでいう「まずはじめに」と言う時は、この宇宙の根源的は始まりを指しており、そこでは「存在のすべて」という事で、神とは原初の「存在」であったというのです。それは自分自身しか存在しておらず、自分自身が何者なのかを知る事が出来ない。そこで他にも自分があれば、自分自身を知る事が出来るという事で、もう一つの自分という存在を作り出したというのです。他者が存在する事で、自分自身への理解を得る事が出来る。そしてより多くの経験を得る為に、より自分の存在を増やした先に、今の人の持つ意識(心・自分自身)があるというのです。
だから人が感じる「自分」と、神という存在は同質であるというのです。またその先にあるのは、自分と他者も、共に神という存在と同じ存在であると言う事でした。
◆自分と他者の関係性
仏と衆生という関係性の話から、少し脇道にそれて「神との対話」という書籍の話を紹介してきましたが、法華経の如来寿量品で説かれた重要な事は、「自分と他者との分断」という思想への転換ではないかと思うのです。
久遠実成の釈迦は燃燈仏
人類社会の悲劇の一つに、「自分と他者の分離感」があると思います。簡単に言えば「自分は自分、他人は他人」。そして他者の痛みへの感受性の弱体化、もしくは著しい欠如。こういう事が様々な問題の根源にあるという事は無いでしょうか。
ここで「神との対話」を参考として引用しましたが、この神との対話と法華経には共通点があります。それは共に「内観(自分の心の中を見つめる)」とい事から、共に導き出している言葉だという事です。つまり人の心の奥底を追求していくと、自分と他者は共に同質であり、そこに分断というのは実は存在しない。そういう事に行き着いたのではないかと思うのです。
法華経の真意というのは、そういう所にあるのではないか。私は如来寿量品の久遠実成を考えてみた時、そういう事を感じました。
(続く)