今日で長かった連休が終わります。十一日間も休みを取ってしまうと、明日からの仕事復帰がとても大変で、今から憂鬱になってしまいます。そう言えば「サザエさん症候群」というのがあるそうで、日曜日の夕方にサザエさんのエンディングを耳にすると、とても憂鬱になるそうですが、当にいまの私の心情がそんな感じになってます。
ちょっと話題を変えて、私は学生時代に筒井康隆にはまった時期があり、彼の書いた小説を読み漁っていましたが、その中で「家族八景」「七瀬ふたたび」というものがありました。それは家政婦として入った家庭で、テレパス能力を持った火田七瀬が、様々な家族模様(家族の亀裂や事件など)を見てしまうという物語でした。まあ譬えが悪いかもしれませんが「家政婦は見た」の、若い家政婦版みたいな内容でした。
家族には様々な事情があり、その家族模様というのは、けして同じものは無い。私がこれを考える切っ掛けを得たのも、この小説を読んでいたからかもしれません。
創価学会では「一家和楽」という言葉をよく言います。これは一家で創価学会の信心をすれば、家族は仲良く幸せに生きていけるという事です。特に家族で共に創価学会の信心をする事で、もし問題を抱えた家族であったとしても、その問題を信心根本で乗り越え幸せになる事が出来る。そういう事をだそうです。
しかし私が二十代初めに地区リーダーになってから、見てきた創価学会の家族模様というのはけして「和楽」とは言えない家族が多くありました。私は三十代半ばで結婚して、自分の家庭を持ちましたが、独身時代に現場幹部として関わった家族の中で「一家和楽」と言える家族というのは、悲しいかな数えるほどしか無かったのです。
思うに人生の中で「平凡な生活」というのは難しい事なのかもしれません。人は常により良く生きたい、思い通りに生きて行きたいと思うのですが、人生の中には様々なトラップが隠されていて、それに常にかき回されて生きて行く。そういう事なのかもしれません。そしてこれは、自分が家族を以て実感した事ですが、家族を持つとよりトラップの種類が多様になり、大小様々な問題に直面したりします。
そういう時に、確かに「信心(私は信仰だと思っていますが)」という意味が問われると思うのですが、多くが「一家和楽の信心」という形式的な事に囚われてしまい、オカシクなってしまうのではないでしょうか。またそこに創価学会の幹部が関わると、よりヤヤコシイ事態に発展してしまうケースも多々あったりします。
私が男子部の時、とある県幹部の奥さんを持つ副本部長の壮年部がいました。奥さんは毎晩、「学会活動」をしているので帰宅は午前様。旦那は副本部長でそれほど活動に多忙な状態ではないので、夜に尋ねると大抵、御主人は一人で過ごしていました。ある時には地元の居酒屋のカウンター席の隅で、一人晩酌している姿も見かけたりもしました。
県幹部の奥さんは、外目は物静かな人で、会合では良く「一家和楽」という言葉を語る様な、それなりに周囲から人気のある幹部でした。しかしある時、私が深夜まで副本部長の御主人に相談する事があり、そこに県幹部の奥さんが帰って来て、ちょっとした修羅場に出くわした事がありました。
御主人は「お前、毎晩毎晩帰りが遅いけど、たまには早く帰って来たらどうなんだ!」。奥さんは「・・・・・」。御主人は言いました「学会活動ばかりやっているけど、少しは家庭という事も考えろ!」。しかし奥さんは黙って御主人の顔すら見ずに家の奥に姿を消してしまったのです。
この夫婦、外目にはそんな問題がある様に見えませんでした。恐らく区幹部や県幹部でも、この夫婦間にこんな事があるのは知らないのではないでしょうか。これを見た私はそそくさと、その場を辞して帰りました。
家族には様々な事情があります。それこそ「家族八景」ではありませんが、他人はそれを一側面からしか見る事が出来ません。一側面しか見れない事に、口を差し挟む事なんて当然できませんし、その家族の問題とは、家族で乗り越える事しかできません。周囲の人は、それを見守りサポートする事が精いっぱいという事だと思うのです。
創価学会では戸田会長が「永遠の三指針」という言葉を残しています。
1、 一家和楽の信心
2、 幸福をつかむ信心
3、 難を乗り越える信心
2、 幸福をつかむ信心
3、 難を乗り越える信心
最近の創価学会ではこれに「健康長寿」と「絶対勝利」なんて言葉を追加して「五指針」としています。しかし何れを目指すにしても、それぞれの人がそれぞれに考えて取り組む必要があり、家族状況が様々あるのであれば、そこに求められるのは「智慧」と「人間力」でしょう。そうであれば、より人間の内面的な事を考えて、取り組む事が必要なのですが、どうも創価学会ではそういう事を活動家幹部には理解させていない様です。
言葉を作る事は簡単な事です。でもその言葉を実現するには、並大抵な事ではありません。そこには現状認識をする理解力、どの様に進めたらよいかを考える智慧、そして人間にはそれぞれに異なる考え方があるので、それを受け止める受容性が必要になります。そしてそれらを各個人の心の中に醸成するのが「信仰」であるはずです。
かく言う私も日々、この事で悩む事がありますが、その悩みながら生きる事も人生の目的でもあると思うので、常に自分を「信仰」を以て鼓舞しています。
皆さんは如何思いますか?