自燈明・法燈明の考察

「宗教」に関して思う事

 さてこのブログに興味を持つ人、見て頂いている人の中には、何かしら宗教団体に所属している人も多い事でしょう。かくいう私も日蓮系の某巨大宗教団体に所属していましたし、一時期はその宗教団体の活動にエラく没頭した時期もありました。

 その宗教団体では「人間主義」を標榜し、「世界平和」を詠い、「永遠の幸福境涯の確立」なんていう事を主張していて、自分たちが信じる教えが「絶対正義」であるという事を主張していました。

 若い頃の私は、その言葉に共感を憶え、自分たちの宗教団体の組織が拡大し、そこで自分たちの教えが人々の間に広がり拡大する事で、本当にこの世界は平和になり、人々の中には幸せが拡大すると、真面目に信じていました。だから宗教活動を始めた頃には、その教えを学び、実践し、実際に様々な宗教体験(その団体では信仰体験と呼んでいましたが)を通じて、その宗教団体に対する信頼感は拡大し、気が付けばその宗教団体の指示通りに動く事こそ、自分の人生の目的に合致したものなのだと錯覚してしまったのです。

 本来、宗教団体とは信仰者をサポートする為の組織であり、本来の目的とは「信仰者を守る事、また横のつながりを保ち発展させる事」であるはずが、いつのまにか自分自身が幹部となり、組織の中に深入りする事で「組織防衛」が目的となってしまっていました。またその宗教団体では、表向きは「人間主義」など、様々な事を語っていましたが、その指導者層の目的とは、自分たちの「仕事の場」である宗教組織の維持・発展という事であり、その宗教団体の構成員については「飯のタネ」程度のものだったのです。

 私自身は宗教を生業にする立場でも無かったのですが、その宗教組織では幹部でもあったので、この実態を理解した時には、本当に衝撃を受けました。

 「なんとも情けない組織になったのか・・・・」

 この様にも思いましたが、そこから様々な文献を読み、思索し、理解した事は、この事は何もこの巨大宗教団体だけの事ではなく、世の中にある宗教団体全般に言える事であり、ある意味で言えば「人類の持つ弱点」の一つが宗教であるという結論でした。

 先日、「天使と悪魔」という映画をネット配信で観ました。
 この映画は2009年にダン・ブラウンという作家の原作をロン・ハワード監督が映画化し、主役はトムハンクスの映画です。一時期話題になった「ダビンチコード」の続編の映画でしたが、その中で枢機卿が以下の言葉を語りました。

 「宗教には欠点もある。だがそれは人に欠点があるからだ。誰しも、私にも」

 人間には宗教は不要なのか、私はそうは思わない。
 でもその宗教を自分自身の人生に取り入れる側の人たちが、この言葉にある様に「人に欠点があるからだ」という事を理解し、その宗教組織に過度に依存する事はせず、一人ひとりが「屹立した人間」という立場を堅持する事が出来るのであれば、宗教というのは人類にとって多くの恵みをもたらすものになるのかもしれない。

 でも今の人間には、そこは大変困難な事であり、こういった精神面で人類は未だ発展途上なのかもしれません。

 この宗教に関して言えば、人間は今一つ「精神的な進化」が必要なのではないでしょうか。



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