自燈明・法燈明の考察

本山担当の思い出①

 今日は暖かな陽気ですね。日差しも暖かく、風もない穏やかな陽気なので、嫁を誘って3時間ほどドライブして来ました。嫁も普段から家事やら仕事、そして学会活動に走り回っていますので、偶に気分転換かねて先程まで行っていました。

 道中、先の遠山清彦氏の話題になり、私が以前から指摘していた通りだろうと言う事に、嫁から反論はありませんでしたが、やはりそれなりのショックはあったようです。私は既に創価学会の活動の場から離れているので、どうでもいい事なのですが、真面目に信じていた人に対して、この遠山清彦氏の行動が、多少の動嫉生疑になれは良いのですけどね。

 さて本題です。
 私は若い頃には学会活動にどっぷり浸かっていましたが、創価班という人材グループの中でも、本山担当というものをやっていました。丁度、第2次宗門問題の直前であったので、2年間程の間でしたが、その経験について少し紹介したいと思います。



 創価班の「本山担当」とは、日蓮正宗総本山の大石寺で定期的にあった「登山会」という、創価学会の参詣行事の運営を担当するグループで、確か首都圏全部で72グループありました。それぞれのグループは人数が100人で、トップが運営総括。これは今で言う総県幹部が担当し、その下に四部十班で構成され(ここだ辺は記憶が曖昧ですが)それぞれに部長と班長がいて、部長は区圏幹部が担当し、班長は本部幹部が担当していました。あと運営に際しては運営指揮という、今で言えば総々県幹部がついて、その指揮の元で担当を担いました。
 グループは総県毎に1グループもしくは2グループあり、1年毎に創価班からメンパーを選抜して、担当をしていました。またメンバーは担当日(偶数月、若しくは奇数月の指定日付)の前日から大石寺に入り、翌日の朝から晩まで、一日運営任務に着くのです。だから必然的に2ヶ月に一日、仕事を休まねばならないのです。

 この仕事を休むのに、本山担当の先輩方の中には、身内が亡くなったとか、家族が入院したという嘘を付きつき着任していた人も居たようですが、私は一貫して「家の用事」という事で有給休暇を上司に申請していました。でもさすがに今から三十年以上前の社会で、2か月に1回、休みを取るのは至難の業でした。

 本山担当に向けては、まず「班会」という班内の打合せの会合が、担当日の半月ほど前にあります。私は二部四班という処に所属していて、担当するのが正本堂内の思逸堂から本堂内の整理誘導を担当するグループでした。人数は確か12~3名ほどで、総県内の各区圏から班長宅に集まり、当日の注意事項や運営に関する詳細の打合せが行われます。

 そして担当日の前々日に「前々日指導会」というのが、総県の中心会館で行われるのですが、時間は21時からでした。そしてこの指導会は原則、遅刻や欠席が許されないという会合でしたが、やはり「在家」で信仰していれば、仕事の関係で21時に会場に間に合わせるというのは、結構痺れる事でした。
 当然、指導会に遅刻してくるメンバーも偶に出てしまうのですが、その時には修羅場と化します。まず21時きっかりに勤行が始まるのですが、勤行が終わると司会が「本日遅刻したメンバーがいます。遅刻したメンバーは立ってください」というと、何人かが直立不動で立ち上がります。「理由を一人ひとり言って下さい」というと、端から順に理由をいう訳です。

「仕事でどうしても抜けられず遅れてしまいました!申し訳ありません!」
「私の油断から遅刻しました。誠に申し訳ありません!」

 すると間髪いれずに真っ赤な顔した総括から罵声が飛ぶのです。

「馬鹿野郎!!お前らみたいな奴が居るから事故が起きるんだろ!!帰れ!!」

 すると遅刻者全員が真っ赤な顔して、直立不動で頭を下げて大声で謝罪します。

「若し訳ありません!」

 このあと二~三回ほど「帰れ!!」「申し訳ありません!!」というやり取りが続き、それを見届けた司会者が発言します。

「本日遅刻したメンバーは、この事をしっかり肝に銘じて、無事故の戦いをして下さい。前々日指導会に間に合わないという事は、そこで負けているんです!そこから事故も起きてしまうのです。」

 初めてこれを見た時には、いやいや何やこのブラック企業の様な事は。と驚きもしましたが、考えてみたら、当時の創価班では地元の会合でも同じ光景を幾度となく見ていましたので、その延長線上にある事と一緒だと思いました。ただこの途轍もなく緊張感が張り詰める事というのは、地元会合よりも数段上の様にも感じたのです。

 そして前々日指導会のあと、「前日一時間の唱題」というのも課せられるのですが、この本山担当のメンバーは、それぞれの地域の男子部でも要の活動家なので、日々、深夜まで活動に明け暮れていました。だから一時間なんて時間を仏壇の前で過ごす事も、中々難しく、結果朝方までかけてやったりと、かなり無茶苦茶な感じで、何とか時間をこなす唱題となっていました。

 そして前日の夕方の18:30。総県の中心会館に集合して、そこで指導会が再度行われるのですが、ここでも遅刻者が出ると前々日指導会同様、修羅場が発生します。「前々日指導会」と「出発時の指導会」には、運営指揮という担当幹部も参加をするのですが、私が本山担当の時に、一回だけ運営指揮が当日に15分ほど遅刻してきて、本来であれば勤行の導師も運営指揮が行うのですが、その時だけは総括を中心に勤行していました。

 班員や班長、また部長が遅刻すると、緊張感バリバリに怒鳴られるのですが、さすがに運営指揮が遅刻すると、会合内には微妙な空気となります。まあ幹部でも遅刻はしてくると言う事と、その場合には、誰もその事に触れないという不問律があったんですよね。。。

 この話は少し続けます。
(続く)


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