今日は朝から仕事でバタバタしていました。昔から「1月は行く」「二月は逃げる」「三月は去る」と言うほど、年明けから三ヶ月の間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。考えてみたら今週で1月も終わりますよね。
さて、ネットでは公明党の遠山清彦氏が、緊急事態宣言にも関わらす、深夜に銀座の高級クラブに行っていた事が発覚し、結構な騒ぎになってます。世の中の人達が緊急事態宣言で自粛しているなか、政府与党の幹部たる遠山氏が、その禁を率先して破る行動は、当然非難されるべき行動です。
本来ならば、この遠山氏の行動とは指弾されても当然の事と思います。また次期の衆議院選挙では落選しても致し方なしでしょう。しかしそこは公明党・創価学会という組織の支援を受けた議員なので、そういった恐れはあまりないと思うのです。また本人もその様に考えている事でしょう。何故なら遠山氏はツィッターで謝罪動画一本あげて「猛省しています」「本当に申し訳ありません」という事で幕引きをしている事から、その様に思えるのです。
また支援する創価学会の活動家の中にも、早速今回の遠山氏の件はマスコミや対抗勢力による謀略であり、遠山氏には期待している、負けるな!という声もある様です。
なぜ創価学会の活動家というのは、この様な発想になってしまうのか。そこにも私は創価学会の根っこにある思想性が強く絡んでいると思うのです。特に「難(法難)」や「魔」という単語に現れる思考性が問題なのではないでしょうか。
この事について、今回は記事を書いてみます。
◆日蓮の生涯
鎌倉時代の僧、日蓮の生涯とはまさに迫害との戦いでした。当時の鎌倉仏教界とは、幕府が進める文化政策を支える大きな柱であり、特に日蓮と対抗した忍性房良観は、その鎌倉仏教界の大物でした。
鎌倉時代とは、幕府という武家政権の始まりの時代でした。それまで朝廷を中心とした権力構造であった日本で、御家人という地方の豪族(武家)が幕府を中心とした新興勢力となり、日蓮が生まれた年には「承久の乱」が起きました。そこでは今まで主君であった朝廷を、臣下の武家が破るという大事件が起きたのです。その事から日本国内は朝廷と武家の二重の権力構造となり、そこから社会の変化が顕著になったと思われます。
鎌倉幕府は鎌倉を京の都に負けない文化都市にしたいと思い、鎌倉に多くの寺院を建立し、京から僧侶を鎌倉に招聘しました。つまり鎌倉では宗教政策は公共事業とつながり、そこに利権の構造が出来上がっていました。日蓮が指弾した事の中心には、この利権構造を壊し、仏教を本来の形に戻すという事があったのかもしれません。そしてその結果、日蓮は生涯に渡り命を狙われる事になったと私は理解しています。
日蓮の生涯が難の連続であり、門下や信徒も常に命を狙われる事となりました。そして日蓮はその難が起きる事で、自身の行動の正しさを確信していたと思います。そしてこの思想こそが、後の日蓮宗、そしてやがては創価学会の思想の中に柱として出来上がったと思うのです。
◆釈迦の生涯に観る難
日蓮は自身が難を受ける事で、法華経の正しさを確信し、自身の行動の正しさへの確信を深めました。そして釈迦が受けたという「九横の大難」や、付法蔵の師子尊者を始めとした難、天台大師や伝教大師の難を振り返り、自身の受けている難の大きさがそれ以上である事が、正義の証明であると門下や信徒に語りました。
しかしいま、ネットで釈迦の生涯を調べてみると、「九横の大難」について論じている人達の大半が、創価学会や日蓮正宗の関係者であり、他の仏教関係者は釈迦の難について論じているものは、極めて少ない状況です。
また釈迦の残された教えを見ても、自身が難を受けた事を「誉れ」の様に語る経典もありません。思うに自身の説く教えの正しさを、社会から受けるの難の大きさや数を持って証明するという思想は、そもそも仏教には無いのではありませんか?
◆正しき人は迫害される
確かに人類の歴史を見ても、正論を語る人、社会を守ろうとする行動を取る人が、権力者などから迫害されるという事はありました。そしてそれはこれからも起きる事でしょう。だからと言って、社会から迫害される人、排除される組織が常に正しいという事はありません。具体的な例を挙げると、過去にテロ行為を行ったオウム真理教が、今の日本では社会から排除され、カルト色の強い顕正会が社会から嫌われている事によって、彼らが正しいとは言えないでしょう。
正しい人は迫害され、正しき人の集まる組織は弾圧される。しかし迫害され弾圧されるという事を以て、その人や組織の正しさが証明されるわけではないのです。
◆魔について
また日蓮の思想では、魔は「三障四魔」として語られ、同じく自分達の教団に対して迫害する人達に対して語られました。しかしそもそも仏教が「内道」の教えであれば、「三障四魔」が自身の外目に現れたとしても、それは己心の内面の事が、対境である人間関係に現れたと捉えるべきであり、けして自分達を迫害する人達そのものが「魔」であると捉えるものではありません。恐らく日蓮自身もその認識であったはずです。
しかしその日蓮の思想を受け継いだ、日蓮宗各派や創価学会も、外目に出ている存在自体を魔として誤認識していると思うのです。
もし内道である仏教を信じているのであれば、その様な迫害する人達が出て来た事で、より内省的に自分自身の心の在りようについて考えるはずが、どうも「魔が出た」と言っては、周辺にいる人達や、社会の動きそのものを「魔」と見做していて、自身の心に対しては内省的な姿勢を取る事が出来ない様です。
◆創価学会の難とか魔について
思い返してみれば、永遠の指導者「池田先生」の大阪の戦い。これは明確な公職選挙法違反の事件です。既得権益の団体との間で起こした議席争いの中で、ある意味で「甘い脇」を指されてしまい、池田氏は検挙されてしまいました。小説・人間革命では、自ら雄々しく大阪の警察に出頭したと言いますが、現実には東京の自宅に大阪府警の刑事が来て、そこで連行されたのです。これは当時の朝日新聞の記事に、しっかりと書かれている事実なのです。
それを創価学会では「大阪の戦い」と呼び、如何にも権力側からの横暴な迫害であり法難であると会員に教えています。
それだけではありません。
初代牧口会長の検挙の理由は、特高尋問調書によると、逮捕される以前に警察に対して、あまりにも過激な「謗法払い」の行為によって、幾つか被害届が出されていた様であり、実際に逮捕された時の容疑も、家の主人の了解もなく、また主人が不在の時に、家の奥さんによって「謗法払い」を実施させた事で「不敬罪」として検挙されたとありました。
今の日本でも神棚は手厚く祀られている家もありますが、その大事にしていた神棚を、家の主人の了承なく破却させてしまったのであれば、当然、告訴されてしかるべき案件だと私は思うのです。
これらの事について、創価学会では「正しき行動がゆえ」と会員に教えていますが、それは飽くまでも創価学会の組織内の論理であって、けして当時の社会の時代背景を考えた時、容認される行動ではなかったのです。
◆結論
さて、先に紹介した公明党の遠山議員の事に話を戻します。
彼の取った行動とはあまりに軽率であり、国の責任ある政権側にいる人物の行動としては、極めて不適切です。本来であれば、次の選挙で落選するのが当然だと思いますが、恐らく今の創価学会の中で、選挙活動とは信仰活動の中心である事から、この遠山議員の件は「難」とか「魔」という事で、これから語られていく事でしょう。実際に一部の熱烈(?)な学会員の中では、まさにその様な言動が見て取れます。
日蓮の生きてきた軌跡と、それを後世の門下が読み取る中で、こういった「難」や「魔」の思想が出来上がりました。しかしれは、結果としてその門人たちに、自分達の行動の良し悪しを正確に見る事が出来ない視点を醸成してしまったのではないでしょうか。
そうやらそこについて考えてみる必要があるようですね。