自燈明・法燈明の考察

人生の価値について

 最近ふと思う事があります。それはこの人生の「価値」という事についてです。私は若い頃、自分で事業を何れは起したいと考えていた時期もありました。しかしいま五十代も間もなく半ばになる年代となり、ふと思い返す事があるのです。

「自分の人生は、本当に自分の想い通りに生きて来れたのか」

 そういう事です。

 私が若い頃、良く母親に言われてきた言葉があります。それは「人生の幸福というのは、どんな人でも同じ量を持っていて、人生生ききれば皆差が無く同じなんだ」という言葉でした。
 自分は若い時には、自分で起業し、そこで「ひとやま当てる」ではありませんが、成功し、やはり経済的に豊かな生活で満足した人生を送りたい。そう考えてきたのですが、今では一介の派遣社員でしかありません。ただ幸いなのは、派遣社員という立場でありながら、自己裁量権を与えられ、自分にしか出来ない仕事の場を与えられていて、そのおかげもあって、結婚して間もなく二十年となりますが、子供も二人いて、何とか食うに困らないだけ収入を得て「平凡」な人生を送れています。

 だから最近思うのは「まあ、こんなモノかもしれないな」という事です。

 さて、先日の事ですが、NETFLIXで「死後の世界を探求する」というドキュメンタリー番組を見ましたが、そのエピソード6では、アメリカのバージニア大学のジム・タッカー博士が研究しているオクラホマ州のライアン・ハモンズ(15歳)の「輪廻転生」の実例がありました。


 ライアン少年が5歳の頃、悪夢にうなされる事が繰り返され、母親に対して「僕は昔、別人だった」と、ハリウッドでの前世の記憶を語りました。その事で悩んだ両親は、ジム・タッカー博士の元を訪れ相談したのです。ジム・タッカー博士はその少年の証言などを元に調査し、ハリウッドで過去に無名のエキストラであり、実業家でもあったマーディ・マーティンという人物の事を突き止めたのです。
 そして番組の中で、今も生存しているマーティ・マーティンの娘たちとライアン少年を面会させてたのですが、ライアン少年はマーティ氏の娘たちの住む町を見て「妙に懐かしい気がする」と語り、「自身がマーティであったのか確信が持てない。でも白昼夢の様に記憶が僅かにある」と語りました。
 またマーティ氏の娘たちも、昔の父親の写真や家族写真をライアン少年に見せ、彼の言動を聞く中で「とても不思議な経験をしました」とも語っていました。ただやはり5歳の頃のライアン少年は様々な事を語っていた様ですが、15歳になった今では、その前世の記憶もかなりおぼろげな内容になっていた様で「もっと小さい時に会ってればねぇ」と娘たちは残念な表情も見せていました。

 この中でジム・タッカー博士は「子供の頃の記憶は消えても、体験による影響が消えることはない」と語っていました。

 大乗仏教では、人の心の奥底には「阿頼耶識(蔵識)」というのはあり、その人の過去からの人生の体験は全てそこに蓄積されていると言われています。そして人の人生の経験の中に、その阿頼耶識に蓄積されている記憶は、無意識層の更に奥から常に生きる事に影響を与えていると説いています。

 そういう事を考えてみた時、一つひとつの人生の中の経験で「人生の成功者」であるとか「人生に失敗した」という事自体は、大した事ではないのかもしれませんね。大事な事はそこで経験した事で、自分の心の中にどの様な経験として何を蓄積してきたのか。そういう事が大事な様な気がするのです。

 そしてその蓄積した経験の価値とは、他人から評価されるものでは無いし、あくまでも自分の心で、その経験にどの様に価値を付けているのか。そこが大事な事ではないかと思いました。

 人生の価値とは、そういう事ではないでしょうかね。

 このNETFLIXのドキュメンタリーには、他にも数例の良く調査された転生の事例について紹介していましたが、それらを見ていてそんな事を考えた次第です。



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