自燈明・法燈明の考察

余経も法華経も詮無し

 未だ日蓮の書いた唱法華題目抄を読みふけっています。日蓮の御書とは鎌倉時代の文献であり、学生時代に学んた古文なので、読み解くには結構な労力を必要とします。
 また古文というだけなら良いのですが、教学的な御書の場合には、その前提となる知識も当然、無くては理解する事は困難ですし、当然、誰に与えられ、どの様な時代背景があるのかについても、予備知識として知っておく必要があるのです。

 なぜいま唱法華題目抄を読んているのかと言えば、日蓮の歴史を辿ろうと考えた時に、日蓮が安房小湊の清澄寺に於いて立教開宗した時に、いったいどの様な教えを持って、この世界に広めようとしていたのか、その端緒を考えるためには、どうしてもこの唱法華題目抄というのは外せないものだったからです。

 私はこの時代に於いて、単に文字曼荼羅を配りまくるとか、その曼荼羅の親玉を奉安する建物を作るだけで世界が良くなるとか、ましてや偽物の「富士の清流七百年」の伝統を誇示するだけとかで、この世界が良くなるとは、全く考えてもいません。またそんな事がどれだけ無益である事か、また人間にとってどれだけ有害性かあるのか、それはこの戦後七十年以上の「実験」により、明らかになったと思っています。

 結局は選挙活動カルトや、終末論カルトを暴れされ、特に選挙活動カルトに至っては、日本の政治をおかしくしている要因の一つにもなってしまいました。

 鎌倉時代の僧侶、日蓮。彼がこの世界に残したのは、お題目と文字曼荼羅、そして御書と言われるお手紙の数々や、自ら考えた教学論です。

 彼の残したモノで、江戸時代まで地方では折伏ということて、様々な信徒の動きがありましたが、中では異端として処分された人達も多くいました。これらは恐らく為政者に対する民衆の不満を根っこにした行動であり、その行動の背骨に日蓮の教えは使われていたとも解釈できます。

 また明治以降では、先の記事にも少し紹介しましたが、北一輝や田中智学等が日蓮の思想を再興し、当時の軍人等の思想の支柱にもなりました。二・ニ六事件の青年将校は北一輝の思想を、石原莞爾の思想である「世界最終戦争論」等は田中智学によります。

 また戦後に急速膨張した創価学会もしかりで、彼らが選挙活動に熱心になる背景には、日蓮の立正安国論があるのです。

 日蓮とは、その思想性以前に、時の鎌倉幕府と対峙した行動をとり、幾度となく捉えられ命を狙われてきました。その生涯は権力との闘争であったと言っても過言ではありません。だから日蓮主義者の行動も、時の権力との対立や融合と言う様な事になったのではないかと、私は考えています。

 ではその日蓮は一体どの様な思想を持ち、何を本当は広めようとしていたのか、そこに対する考察とはあまり成されていないように感じます。

 単純に「南無妙法蓮華経」と言うお題目を広めようとしただけ?ではその南無妙法蓮華経とは如何なるものか、等など。そういう議論とはあまりなされていないのではないでしょうか。

 日蓮は「余経も法華経も詮無し、ただ南無妙法蓮華経なるべし」と言い、実は経典や法華経の経典についても、意味がないという様な事も述べてます。ましてや鎌倉時代と現代では人々の機根や社会情勢は、あまりに違いすぎます。

 だから本来は換骨奪胎が必要な時期に来ていると思うのですが、それを考えるにも、やはり日蓮の考え方にアプローチをしなくてはなりません。

 だから唱法華題目抄を、まずは読んで考える必要があると思ってます。




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