自燈明・法燈明の考察

広宣流布について①

 さて、法華経の大枠としての意義で個人的に考えている事を、ここで書かせて頂いたが、この法華経には「広宣流布」という事と、地涌の菩薩という事も書かれている。この事についても書いてみたい。

 まず広宣流布についてだが、法華経の薬王菩薩本事品第二十三に説かれている。
「我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ。」
 ここには釈迦滅後の後の世において、この法華経を広く宣揚し流布し、その流れを止め、悪魔や魔民、諸天や龍、夜叉等にそれを知られてはならない、と説かれている。つまりこの法華経を世界に広く知らしめて行く事を続けていきなさい。という意味である。

 改めて確認だが、この広宣流布は大石寺等では当初、全ての国民が大石寺信徒となり、そして大石寺に天皇陛下が行幸してくるという世の中を想定していた様だ。そしてそこから国立による戒壇(道場)が建立される事を夢想していたのである。だから大石寺には「不開の門」というのがあって、広宣流布の時にはそこを天皇陛下がくぐって入ってこられるんだと言っていた。そして創価学会に於いても二代会長の戸田氏も同じ事を夢想していた様で、創価学会ではそこに向けた具体的な方策として、国立戒壇は国で建てるのだから、その為に参議院に議員を送り込んだと言われている。顕正会に至っては、日本国民全員が(最近では大多数とか言ってもいるが)自分達の会員になり、その先にこの大石寺の夢想が実現すると考えている。
 そして広宣流布の先には日蓮が御書に書いてあるように、この日本は理想的な国となり安寧な世の中が実現すると信じていた。

 しかし法華経にある広宣流布とは「法華経を広く宣揚し流布する事」であり「それを止めてはならない」とある。つまりその法華経流布の中で、一時期は多くの人々が法華経を知る事があっても、大事な事は「断絶しない事」「断絶した事を悟られない事」とある様に、いわば法華経の思想の流布を説いているわけであり、そこに宗教組織の拡大という考え方は存在しない。要は大石寺の夢想とは、そもそも法華経の経典にある言葉の意味を履き違えていて、それが後の世において創価学会や顕正会がその夢想を現実化しようと躍起になっていったと考えられる。

 この事は恐らく創価学会、特に三代会長の側近辺りは気付いていたのかもしれない。創価学会では第二次宗門問題前後から広宣流布とは流れであり、到達点ではないという見解に変更し、当時は顕正会を責め立てる理論として使っていた。
 しかしもし流れだと言うのであれば、創価学会が公明党を設立した当初の目的も異なったのだから、政治の世界からも手を引き、そこで教学的な見直しを図るべきが、恐らく政治に関わったことで様々な権益や利害、そして思惑等もあったのだろう。公明党の存在意義だけサラリと変更して現在に至っている。
 これは何とも無慚な話だと思うが、組織が巨大化すると言うのはそういう事も往々にしてある訳で、であれば尚更、広宣流布とは組織拡大という活動では無かったことが解ると言うものだろう。

 ではこの法華経にある広宣流布だが、具体的にはどの様に進めるべきであったのだろうか。私はこの広宣流布と言うのはいわゆる「組織活動を主体とする」というものでは無いと考えている。
 確かに人間とは社会的生物なので、何をやるにつけても組織というのは存在してしまう。そこについては致し方ないと思うが、ただそれが現在の創価学会の様に「組織活動こそが信仰の王道なんだ1」というものであってはならないと思っている。そもそも信仰とは個人の内面の世界であり、そこは本来、外圧によって侵害されてはならない。人と言うのは信仰に対して極めて脆弱な生き物だから、もしその信仰心を操られる事になれば、それはすなわちその人の人生そのものを奪い取ってしまう事にも通じてしまう。
 本来、宗教上の組織というのは同じ信仰をする者同士が「互助会的」に集うものであり、互いに思いやりながら同格な立場として、時には励ましあい、時には語り合い、また時には激論を交わす事もあるだろう。しかしそれはあくまでも同格な立場にあっての話であり、そこに責任とか権限というのは基本的には存在してはならない。つまりあくまでも緩やかな組織である必要があるし、ましてやそこに職業として巣くう人種を存在させてはならないのである。

 この事で有名な説話がある、それは釈迦と提婆達多の関係だ。

 釈迦とは常に苦悩する人を目の前にして、その人の苦悩から救うためにどの様な言葉を投げかけるのか、どの様に導いたら良いかを常に考える人であったと思う。そしてそんな釈迦の元には、多くの人たちが集ってきて、いわゆる「僧伽(そうぎゃ)」を形成するに至った。釈迦もそうだが、聞くところではキリストもこういった宗教が組織化する事には無頓着であったという。釈迦が組織に無頓着であれば、やはり人の集団である事からそこに「不協和音」というのが必ず発生し、そこで「組織化」というのは課題に挙がってくる。そこに目を付けたのが提婆達多だと言われている。
 提婆達多は釈迦の従兄弟だったが、仏弟子となり伝説によれば「その後は驕慢の心を起こし、サンガの教導を提案。釈迦に「五事の戒律」を提案するも受け入れられなかったので、分派して新しい教団をつくったという。」とある。ここで「驕慢の心を起こし」とあるが、これはおそらく後世の評価がそのままついたのだろう。要は枠組みを作り、戒律を制定して組織化を図ろうと提案した。しかし釈迦に断られ叱咤され、結果として分派して別教団として別れる事になった。提婆達多がこの組織化を釈迦に提案した本心は、奈辺にあったかは今では真実は判らないが。おそらく組織としての課題を感じ、そこで人々をまとめる必要性を感じた事が発端であったかもしれない。

 ここが常に悩ましいところである。

 信仰とは先にも行ったが個人の内面の世界の事なのだが、同じ信仰する人々が集まるとそこには必ず組織というものが出来上がってしまう。信仰と宗教の違いは、この社会的な組織ができたものを宗教と言い、そこでは教義としての普遍化や、修行など行動様式の統一化も出てくる。そして組織であれば当然、当初は責任の所在に過ぎない立場が、信仰を背景にした権威を持ってきてしまう。そしてこの宗教的な権威に基づき、そこに必ず従属関係が出来上がってしまうのだ。そして宗教でこの権威をもった人は、結果としてその宗教を信じる人の「生殺与奪の権」まで持ってしまう。いや、その宗教で信仰する人たちが、そういった力を与えてしまうのだろう。結果としてそこにはいずれ「収奪」という事も起きてしまうのは、人類史の中の宗教の姿を見れば明らかなのだ。

 この話題はもう少し続けてみる。


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