今日は午前中、通院で近所のクリニックに来ています。これは創価学会の青年部時代、メチャクチャな生活をしていたので、壮年部と呼ばれる四十代初めには生活習慣病を発症してしまい、もう十年ほど通っています。
外に出ると人類社会のパンデミックなんて関係ない様ないい陽気で、小川にはカモが泳ぎ、日差しはとても気持ちが良いのです。
今回の武漢肺炎は、人と人との関係性や、仕事や社会という事について、様々な事を考えさせられる出来事(感染症)ですね。恐らくパンデミックが終わった後の人類社会は、大きな変化を伴うのではないかと想像してしまいます。
大きな変化とは、良い事も悪いことも含めて、従来の通念や価値観が通じなくなる事が多くなるという事です。
まったく私は、すんげー時代に生まれて来てしまったもんだと実感しています。
さて今日のお題ですが、いまNHKの大河ドラマでは「麒麟がくる」をやってます。
長谷川博己演じる明智光秀や、本木雅弘演じる斉藤道三も良いですが、染谷将太演じる織田信長は斬新ですね。今までとはまた違う信長像を演じていますが、あの一見気弱な感じも見えながら、実はその奥底にとても恐ろしげな雰囲気をみごと演じているのには、正直、驚きました。
歴史を見ると、この織田信長は平家物語の「敦盛」を好んでいたようですね。
「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなりひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか」
信長が生きた時代、人はだいたい五十歳前後で人生を終えていたようです。たまに長生きをする人も居た様ですが、戦乱の時代でもあり、医療もそれほど進んでいなかった時代なので、そのあたりだったのでしょう。
いまの時代、日本人の平均寿命は84.10歳(世界銀行の情報参照)なので、信長の時代と比べて30年以上延びている事になります。しかし30年延びたとして、その人生の質はどうかと言うと、それほど変わっていないのではないでしょうか。ある見方をすれば、人生の質で下がっている事があるのかもしれません。
若い時代。そうですね、10代から30代にかけて、あまりこんな事を真剣に考える事はありませんでしたが、50代になってくると、様々な事を考えてしまいます。
人生とはいくら時間が延びたと言っても、それは無限に延びたという事ではなく、やはりそこには限りがあります。また同じ時代を生きていく友人や家族とも、共に過ごせる時間も同様ですし、「一期一会」といって、この友人と家族との関係性は、永遠に続く事は無いのです。
この人生は何のために生まれてきたのか。
どの様な経験を、この人生で得ていくのか。
死んだ後、どの様に自分はこの人生の事を感じるのか。
やはりこの人生、大事に丁寧に生きていく必要がありますね。そしてそれはけして人まねの間隔ではなく、自分自身の心を軸とした感覚で感じる必要があります。
さてさて、今日もできる事に取り組んでいきましょう。