OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

これまでの投稿記事の「北硫黄島」「南硫黄島」取り違えミスについてのお詫びと訂正

2009年08月03日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、前回紹介の栗林壕の中です。
これより奥に広くなっている場所がある、入っていける部分の中間部分です。
暗くて分かりにくいですが、壕が途中で分岐しています。
硫黄島の壕の全体が複雑にはりめぐらされています。
照明整備されている、この壕と、医務課壕以外のいくつかにも、
これまでに懐中電灯を持って、いくつか入りましたが、分岐と勾配とがあるので
ごくわずかな部分しか行けません。

まだ調査、遺骨収拾が済んでいない壕には、私たちは行きませんが、
そういう壕や危険な壕は、「立ち入り禁止」表示があります。


「北硫黄島」と「南硫黄島」を私が、混同・勘違いしていて、
これまでに投稿した記事のうちの、昨年と今年の少なくとも三つで、
取り違えて写真紹介したり、紹介の文を書いたりしてしまっていることが
分かりました。
ミスがあり混乱させてしまい申し訳ございませんでした。
お詫び申しあげます。

今年の6月訪問の時にも一緒に行った者などから「 北いおう と 南いおう
が、ごっちゃで混乱しているようだ。」と指摘されました。

昨日、過去の記事を確認して気がついたのですが、
昨年6月訪問の時に撮影してきた写真を
「南硫黄島が見えました。」と、紹介したのから間違っていて、
あの記事の写真は北硫黄島のものでした。

「お椀を伏せた形が海から浮いて見える形」を「南硫黄島」と
勘違いしていたせいもあります。

「北硫黄島には戦前人が住んでいて、昭和19年の強制疎開時の
住民は90人」 「南硫黄島は戦前から無人島」
は正しいです。

「あのお椀をひっくり返したように頭を出している島は、
火山の上の部分だけ海上に出ている。人が住める土地などないのも
あの形からも分かる」と思ってしまっていたことから勘違いでした。
正しくは、「南北に二つの峰がある。」そうです。

「おがししょ」さんのブログ「おがさわら ちいさなとしょしつ」の
小笠原丸皆既日食便の記事に北硫黄島の形が分かる写真を載せてくれてい
いますが、確かに二つ峰がある様子が分かります。

二つの峰が南北に並んである北硫黄島が、真南の硫黄島からは、
「一つの山が浮いている形」に見えるのだということを、
やっと、きちんと理解できました。


今年の二つの間違いの記事も、写真を撮った場所と方角を
きちんと確認すれば、「おかしい」ことに気がついていたはずのミスでした。

バロン西の碑のある海岸は島の東側でしたからそこから右手側の崖の横に
うっすら写っていた島のある方角は、北ではなく南。

硫黄島の一番南にある擂鉢山の山頂から、小笠原丸係留場所、釜岩方面
を撮影したのは、北側を撮っていたのですから、その写真の監獄岩の
後に写っていたのは北硫黄島。


勘違いと理解不足混乱から、
長い間、ミスに気がつかないままで、すいませんでした。

間違っている記事の箇所と内容を昨晩確認したのですが、
写真をミスで掲載しただけとかではなく記述文章ごと
間違えているので、
投稿済のミスの「北」と「南」を入れ替え、
では、訂正できないことが分かりました。

既に投稿したオリジナルの記述と写真はそのまま手を加えずに、
それぞれの記事の冒頭に訂正と訂正した日時を入れる形で
なおそうと思っています。


9月の東京都による入間基地から輸送機での硫黄島日帰り墓参の
案内が届きました。参加申込して決まりましたら、
またお知らせいたします。

今年の6月の訪問の硫黄島の写真はたくさんありますが、
紹介したかった内容は、だいたい終わりましたので、
これからは、行き帰りに寄った父島の様子なども
紹介していきたいと考えております。

引き続きよろしくお願い申しあげます。

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