こんばんは。
ちょっと外部から繋いでます。
昨日も今日も寒い寒い。
さて、妙政寺の成り立ちについて今のところわかっていることを報告いたします。
妙政寺は慶應2年の創建となっておりますが、これは門を入って左側にある石灯籠に刻まれた年号により開創年を慶應2年正月と定めたようです。
実際に石灯籠が創建と同時に奉納されたとしても、妙政寺の母体である法華信仰の講「河内一心講」がすでに完成していなければなりません。
妙政寺には二つの過去帳があり、そのひとつには江戸時代の前半年代から戒名が残されており、寛永元年12月13日一性院宗玄日感居士 小山九兵ヱ・小山氏一世とあります。ところが、元禄6年11月18日に理融院妙玄日真大姉が小山氏一世妻とありますので、夫と妻の死に70年の差があるのは少し疑問が生じてまいります。ここで問題なのはふたつの過去帳の記載内容の相違です。現在導師席の前にある過去帳は田中慈妙上人の代から使用されている過去帳です。もちろんそれ以前のお戒名はもうひとつの過去帳の内容とあわせて記載されるはずなのです。にもかかわらず、馬場英龍上人以前の過去帳には小山氏一族の記載が一人しかないのです。しかも字体から判ずるに、これも田中上人によって書き加えられたものです。
推測するに、おそらく小山氏は田中上人の代になって妙政寺と関係の出来た御信者さんで、旧い家柄の方であったと思われます。田中上人が信者さんとしてお参りする中で、過去帳に小山家の歴代を記載したのではないでしょうか。あくまでもわたしの推測の域を出ません。
そうすると妙政寺の過去帳のお戒名の中にみえる「日蓮宗当村の先士」という添え書きがある智徳院道風日香信士(俗名不明)が、江戸時代末期において「河内一心講」の中心人物として、妙見堂建立に尽力されたと考えてよいのではないかと思われます。戒名に使われている文字から、現在の檀家さんの中でこの家ではないかと思われる節もあるのですが、残念ながらそのお家に残されている過去帳では確認ができませんでした。
こうしてみると妙政寺の歴史は150年ですが、わずか150年の寺の歴史が実は正確に伝わっていないということが分かってまいります。
と、この記念誌がほぼ完成に近づいた頃“日蓮宗当村の先士”が判明しました。調べてみるものです。大字氷野・辻田とありました。三箇・善遠寺さまに辻田氏の関係者がいらっしゃいます。
一昨年、開創150年を迎えるにあたり、今後の妙政寺の歴史を刻んでいくためにも、出来うる限りの資料を用いて、少しでも事実に近い妙政寺の成り立ちを残したいという思いで、まとめさせていただきました。
この記述は開基上人よりわたくしに至るまで10人の住職とお檀家さん、ご信者さんと一緒に繋いできたこのお寺の成り立ちの書でもあります。
ちょっと外部から繋いでます。
昨日も今日も寒い寒い。
さて、妙政寺の成り立ちについて今のところわかっていることを報告いたします。
妙政寺は慶應2年の創建となっておりますが、これは門を入って左側にある石灯籠に刻まれた年号により開創年を慶應2年正月と定めたようです。
実際に石灯籠が創建と同時に奉納されたとしても、妙政寺の母体である法華信仰の講「河内一心講」がすでに完成していなければなりません。
妙政寺には二つの過去帳があり、そのひとつには江戸時代の前半年代から戒名が残されており、寛永元年12月13日一性院宗玄日感居士 小山九兵ヱ・小山氏一世とあります。ところが、元禄6年11月18日に理融院妙玄日真大姉が小山氏一世妻とありますので、夫と妻の死に70年の差があるのは少し疑問が生じてまいります。ここで問題なのはふたつの過去帳の記載内容の相違です。現在導師席の前にある過去帳は田中慈妙上人の代から使用されている過去帳です。もちろんそれ以前のお戒名はもうひとつの過去帳の内容とあわせて記載されるはずなのです。にもかかわらず、馬場英龍上人以前の過去帳には小山氏一族の記載が一人しかないのです。しかも字体から判ずるに、これも田中上人によって書き加えられたものです。
推測するに、おそらく小山氏は田中上人の代になって妙政寺と関係の出来た御信者さんで、旧い家柄の方であったと思われます。田中上人が信者さんとしてお参りする中で、過去帳に小山家の歴代を記載したのではないでしょうか。あくまでもわたしの推測の域を出ません。
そうすると妙政寺の過去帳のお戒名の中にみえる「日蓮宗当村の先士」という添え書きがある智徳院道風日香信士(俗名不明)が、江戸時代末期において「河内一心講」の中心人物として、妙見堂建立に尽力されたと考えてよいのではないかと思われます。戒名に使われている文字から、現在の檀家さんの中でこの家ではないかと思われる節もあるのですが、残念ながらそのお家に残されている過去帳では確認ができませんでした。
こうしてみると妙政寺の歴史は150年ですが、わずか150年の寺の歴史が実は正確に伝わっていないということが分かってまいります。
と、この記念誌がほぼ完成に近づいた頃“日蓮宗当村の先士”が判明しました。調べてみるものです。大字氷野・辻田とありました。三箇・善遠寺さまに辻田氏の関係者がいらっしゃいます。
一昨年、開創150年を迎えるにあたり、今後の妙政寺の歴史を刻んでいくためにも、出来うる限りの資料を用いて、少しでも事実に近い妙政寺の成り立ちを残したいという思いで、まとめさせていただきました。
この記述は開基上人よりわたくしに至るまで10人の住職とお檀家さん、ご信者さんと一緒に繋いできたこのお寺の成り立ちの書でもあります。
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