お早うございます。
秋が一気にやってきました。
妙政寺の玄関前の金木犀が甘い香りをいっぱい漂わせています。
加納村は金木犀を植えているお家が多いです。
これには一つの理由があるんですけどね。
さて、妙政寺はもともと「妙見堂」と呼ばれ、加納村のほぼ中心に存在しました。
昭和の初めに本格的なお寺として、現在地に土地の寄進を受け、移転再建築されました。本堂の木材は「妙見堂」当時のものがそのまま使われています。
移転の折、落慶式の集合写真ですね。
創建から150年経ちましたので、一昨年に妙政寺150年誌という小冊子を作成しました。
まだまだ調べなければならないことがたくさんあります。たかだか150年前のことがよくわからないのです。
(石灯篭)
妙政寺の創建年代を語る唯一の証人なんです。
慶應2(1866)年春、とあります。ほとんど読めません。妙見堂が創建されたと同時に奉納されたのか、その後なのか。慶應2年春に創建と同時に奉納されたとしても、その前提である妙見講なり法華講が存在せねばなりません。河内一心講が母体であるとは聞いていますが、その正体がわかりません。残念です。でも少しづつ、近づいていこうと思います。
秋が一気にやってきました。
妙政寺の玄関前の金木犀が甘い香りをいっぱい漂わせています。
加納村は金木犀を植えているお家が多いです。
これには一つの理由があるんですけどね。
さて、妙政寺はもともと「妙見堂」と呼ばれ、加納村のほぼ中心に存在しました。
昭和の初めに本格的なお寺として、現在地に土地の寄進を受け、移転再建築されました。本堂の木材は「妙見堂」当時のものがそのまま使われています。
移転の折、落慶式の集合写真ですね。
創建から150年経ちましたので、一昨年に妙政寺150年誌という小冊子を作成しました。
まだまだ調べなければならないことがたくさんあります。たかだか150年前のことがよくわからないのです。
(石灯篭)
妙政寺の創建年代を語る唯一の証人なんです。
慶應2(1866)年春、とあります。ほとんど読めません。妙見堂が創建されたと同時に奉納されたのか、その後なのか。慶應2年春に創建と同時に奉納されたとしても、その前提である妙見講なり法華講が存在せねばなりません。河内一心講が母体であるとは聞いていますが、その正体がわかりません。残念です。でも少しづつ、近づいていこうと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます