3日朝に台湾東部で最大震度6強を観測した地震では、素早く開設された避難所の運営に注目が集まる。
東北大学災害科学国際研究所の佐藤健教授(コミュニティー防災)は日本の現状とも比較し、平時からの民間と行政の信頼関係の構築がカギと指摘する。
個人的な意見でしかないとは思いますが、昨今の日本の横の繋がりの希薄さでは助けあいところではありません。
それで良いと思います。
日本で社会の形成に失敗したのは好き好んでこうしたと言うよりもこのくらいしかなかったのですから。
その件についてはあとで書きたいと思います。
なので台湾と能登を比較してもどうにかなるのか疑問な面もあります。
それでも学者さんは地域などとは無関係に配慮しない話をしますよね。
まして能登の場合直下でしかも被害は相当で津波もありました。
確かに準備の差はあったのかと思います。
それにしても日本全国どこでも同様に大変な避難準備が出来るのかとなればそれは難しいです。
批判よりも現実に出来るのはなんだったのかを上手説明しないと配慮に欠けますから。
日本の衰(おとろ)えとでも言うような状況の酷さが有るのかと思います。
原因は少子高齢化だけでなく、経済規模も大きくならないもどかしさのような悪循環です。
なのに災害対策だけ他国並みにやれないのを見て見習うべきと言うのは身勝手です。
専門家に多い、他の事は配慮しないような態度です。
反省したのは確かに避難訓練なども含めてやらないといざと言う時に上手く機能しないのです。
ですが、そんな社会なのかと言うとそうもいきません。
それだけの話です。
現実的な状況を考慮した避難の方法とその後の対策が想定通り行かなかったとしてもそれはそれで評価するべきです。
一番問題なのは具体的にどうする事がベストだったのかを完全に述べられない限りは状況を否定してもただ文句でしかありません。
完全な対策なんて無理な話です。
憲法が矛盾だらけなのに災害対策は完璧にしろなんて無理な話です。
今回の能登半島地震でそれをつくづく痛感させられたのは二次避難すら個人の自由で選択されて捗らないのですよね。
もう少し協力して貰えたなら、残り4000人くらいで、ホテルで休んで貰っている内に対策出来たのに。
それが残った事で厳しい状況の改善を焦らないといけなくなりました。
更に仮設も急ぐしかなく、それでまたマスコミもそれをネタにしていますよね。
台風の一過性だからかもしれませんが、他で出来た話が地域によっては難しいと言うか個人の選択が優先されます。
それを踏まえずに見習うとか言うのは単純化したモデルを扱う学問の悪い点です。
単純なモデルには付加されないそれぞれの個人の事情があり、それで選択する自由がある以上こうなったとしてもそれは検討課題であってどうしても改善しなければならないような固定観念とは違います。
難しい世の中になったものです。