金生遺跡での立秋の日の出
春分以降の遺跡での日の出は、天候が今一で立夏も夏至も曇り空のため観測することは難しい事が続いてきた。しかし、8/7日の立秋は秋となってこれほどの良い天気であった。天候が絡む日の出観...
東洋最古の天文台 その2 「贍星臺」
瞻星台 「贍星臺」は「星に満ちた楼」 慶州瞻星台(けいしゅうせんせいだい)は、韓国では「新羅時代に建造された東洋最古の天文台遺跡」と言われている。しかしこの施設は東洋最古の天文台...
東洋最古の天文台 その3 「漏刻台」と「占星台」
縄文時代の暦について何故検討がされていないのかの疑問進まないその原因は、古代史の現状にあるものかと考える。漏刻は,中国から数百年の制作/運用の実績のあるノウハウも一緒に伝来してきた...
暦と縄文時代
縄文時代の時代区分には暦の開発が絡んでいたのでは無かろうか縄文時代の年表から縄文中期には二至二分が推定されていた。二至二分暦の成立、それまでには暦の開発史が絡んでいて、ストーンサー...
二倍年暦 古代ギリシャでも
古代ギリシャのオリンピックは2年ごとに行われていたのではという。現代の4年ごとというのは錯覚によると云うようだ。 夏殷周の人々の暦は見直しが必要という資料をどう考えたら良いでしょ...
「夏商周断代工程」 古代中国史
夏殷-商-周の年代は①夏王朝を 紀元前2070年から紀元前1600年に推定している②商(殷)王朝 (B.C.1600~B.C.1040)③周王朝 (B.C.1046~B.C....
二至二分を持つ遺跡 天神原遺跡
群馬県安中(あんなか)市の天神原(てんじんばら)遺跡では、妙義山(みょうぎさん)の三つの峰のちょうど真ん中の山頂(金洞山)に、春分、秋分の日の太陽が沈むという。 天神原遺跡 時期...
シュメール文明と縄文人の対比
阿多カルデラ噴火から避難した縄文人がシュメール人と成ったのかと想像していたところ土偶に良く似たものをシュメール人も作っていたようだ。 写真はお借りしましたシュメール人は...
祈年祭とは
その始まりはよく分らない様子。神社の最古の二大祭祀とされる祈年祭と新嘗祭、それぞれ、祈年祭が(旧暦)何月で、新嘗祭が(旧暦)何月か知ってるだろうか?祈年祭は旧暦2月。新嘗祭は旧暦1...
夏商周の年代について再度
BC3500年頃から、地球の気候は寒冷化したことが、四大文明誕生の原因であるという。その後のBC2300年頃からBC1500年頃にかけて、太陽活動が再び活発化し、その温暖化の流れの...