金生遺跡の年代は縄文後期から晩期とされている。
年代は余り正確に確定することは出来ないが、4000年前以降として
八節の暦がこの時期に作られていたとすれば世界最先端に当たるものとして良いのではと考える。
2023.01.18 表を追加しました。
周辺の地域の中ではチャイナの良渚文化から夏 殷 周 春秋戦国の頃に相当する。
これまでの知見では周に於いて四立が発明されたとされているようですが、金生遺跡は四立を見つけていたとすれば、それより時期的には1000年ちかく早いことになるのでは無かろうか。
その上暦を作るための天文台が現存していて、現代の暦に合っていたことが分れば素晴らしいことでしょう。
この辺りについては俄勉強で、知識をお持ちの方に後援をお願いしたいです。
2022.06.23 追加しました
その後の調査により、縄文時代前期には八節の暦 四季の暦 は開発されていたものと考えることになりました。金生遺跡は、後のチャイナで二十四節気の暦と呼ばれるものが開発される丁度その前後に当たる時期になるものと考えています。
写真はお借りしました