観測会の結果を記載します。
2023.05.10 やっと快晴 タイムラプス映像撮影の予行が出来ました。山の峰からの日の出と、裾からの日の出では、ノーモンの高さを変えることになるようです。8日なら丁度ピークからの日の出でですが、10日は左裾の低い位置からの日の出になるので、石棒との関係はかなり大きく変わります。
日の出は笠無山左裾の丁度太い樹の幹の辺りからとなっていたはず、太陽は見ていません。手前の男根型石棒が観測点です。
2023.05.09 日の出時間帯では太陽は見えずでした、その後快晴
2023.05.08 大雨
2023.05.07 雨天で観測できず 暇があるので、K.M.氏と方位磁石により、配石内の石棒と大きな石などで、南北方位と東西方位、さらに3,4,5の直角形の存在を構想してみました。今後の検討が楽しみです。
その他にも縄文人達は配石と石棒を組み合わせて、思いも寄らない様々な宝を隠しているかも知れませんので、ご興味ある方は妄想を凝らして、縄文人の残している謎に挑戦してみてください。
2023.05.06 曇天で日の出観測できず
日の出の時のタイムラプス映像について、協力くださる方があり、検討できそうです。
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立夏の日の出観測会のご案内
2023.05月 06、07、08日
時間 4:30 ~5:30 頃まで 日の出は 5時過ぎです
1.現代の太陽暦の計算
365日 閏は無視して
365/2 182.5日
182.5/2 91.25日
91.25/2 45.625日
45.625/3 15.20833333日
2.縄文時代の太陽暦計算
365日 観測するので閏は不要
365/2 182日 誤差1日
182/2 91日
91/2 45日 誤差1日 ここで45日進法の太陽暦は完成する
45/3 15日 月の暦とシンクロできる 15日進法の暦 二十四節気の暦
しかし半年もすれば月の暦との誤差が大きくなるので、半年ごとに月の日にちを太陽暦の日にちに時間合わせをする。
そのため立秋を観測して月の相を観測することにより、月の暦を太陽暦の日にちに合わせていた。金生遺跡・大配石での太陽暦観測施設はそのために建設されていた。
計算で無く太陽観測に基づく暦なので、4500年経っても暦は正確に合っている。
図はお借りしました
引用しますーーーーーーーーーーーーー
太陽太陰暦としてよく知られているのは,バビロニア暦である。バビロニア暦は,ウル第三王朝(BC2112~2004年頃)のシュルギ王(BC2094~2047年頃)が定めたウンマ暦を起源とすると言われている。シュルギは,ウル・ナンムの息子である。
バビロニア暦では,月の満ち欠けの周期(朔望月)をもとに,1年を12か月とし,春分の頃の新月の直後を元日とした。1年は,「始期」,「中期」,「終期」の3期に区分された。
平均朔望月は約29.530589日で,1太陽年は365.242189日なので,1年12か月とすると354.367068日にしかならず,1年で10.875121日も暦と季節がずれてしまう。紀元前6世紀までは,最後の月や6月を繰り返すことで,暦と季節をあわせていた。春分の日は,恒星カペラの動きを観察して決定したという。
バビロニアでは,19年が235か月にほぼ等しいことが発見され,紀元前5世紀初頭に,19年に7回の閏月を置く19年7閏法が採用された。19年≒235か月という太陽と月の周期は,ギリシアの数学者メトンにちなんで,メトン周期と言われるが,メトンはバビロニアからこの周期を導入したと言われている。
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2023.04.04 山の名称を笠無山に訂正
金生遺跡の立夏と配石の関係 初稿 2022.05.06
2022.05.05 立夏 遺跡での日の出は観測できなかった
2022.05.06 立夏の翌日 曇天で日の出は観測できない
配石との関係は、遺跡整備のため壁立ち建物が年初から取り払われていたので、日の出の目安の笠無山(飯盛山は間違い)との関係が、生け垣の背の高い木も切り払われ、北東は見通せるようになり、分りやすくなっていた。
前年 2021.05.05 の日の出からは笠無山の右肩辺りからと推定出来るので、
笠無山を支点にして、配石との関係を見ていると、立春の目安石棒が有る配石区画と、男根型石棒との関係がある様にも見える。
日の出前の全体
配石と笠無山を一望 笠無山の右肩日の出位置
男根型石棒と立春石棒の配石区画
奥 立春石棒区画の北東角 目当て枝を置いた
手前 男根型石棒 立春目当ての石棒
北東から 目当て石の表示と男根型石棒
奥に男根型石棒
立春目当て石棒 区画角の目印を置いた石
手前が壁立て建物配石 右奥の立石意義は分っていない
これが笠無山に当たるのだろう
最後尾 西の配石 立石と 男根型石棒
奥が立春石棒
南西から見ている これまでは建物があるのと生け垣で日の出方位は見えなかった
これまで気付かなかったが、この結果から配石は、四立八節の暦の観測点を示す配置に作られているのかも知れない。立春石棒の立つ区画から、立夏の男根型石棒の立つ区画に受け渡すような意図がそこにはある様にも感じるので。
立春点では配石の東の先端の石にノーモンを立てれば影が立春の石棒に当たる。
立夏点では立春目安の石棒のある配石区画の北東角の石にノーモンを立てれば、その影が男根型石棒に当たるようになると思われる。っぎの立秋の日にそれを確認してみれば良い、しかしこの時期は矢張り曇りが多いのでなかなか日の出の時の影を見るのは難しいものとは思うが。縄文時代の配石のデザイン思考の理解には繋がるでしょう。
金生遺跡・大配石での立秋方向 2021.9.7
日の出方向は見えない
遺跡から出て後方から日の出を確認 真ん中の林が遺跡
その時背後に出来た影
影の差す方向の山は名称は分らない
2021.06.08 初稿投稿
写真紹介します
金生遺跡の立夏
日の出
手前の林が遺跡、笠無山の右手辺りからの日の出
日の入り
中央日没手前の林が遺跡