金生遺跡配石墓の人骨 全ゲノム解析
金生遺跡では人骨が発見されていた。配石の成立過程を見たとき、発掘からは配石の東の先端の位置に最初に住居が出来ていたようだ。その後そこを起点にして西に向けて配石が形成されていったよう...
金生遺跡で観測した 日の出と山稜との関係
2021.12.21日 冬至から始めた日の出位置観測では、夏至まで追跡して来て、日の出と山稜の関係については、ほぼ大凡のことが判明したと思う。春分以降は山稜との関係は特別深いことは...
金生遺跡と「八節」の暦 改訂版
改2021.06.26 2021.06.12金生遺跡と「八節」の暦 改訂版 金生遺跡は「立春」を山頂で観測して、甲斐駒に連なる山稜で日没のカレンダーが見えることから「八節」暦...
少しだけ金生遺跡を紹介します
この写真は金生遺跡の配石遺構を雪の後撮影した写真です。配石が地面の土色の背景よりも、雪の白さにより際立っています。横にある建物はどうでしょうか。この建物には日本全国各地から調査...
金生遺跡の現状
金生遺跡は40年前に発見され発掘されて、国指定遺跡公園として整備されてしまった。東側にある茅が岳通称 遺跡から見ての最高ピークは金が岳で立春に日の出 が日の出を見るための天文台の観...
金生遺跡の立地は
金生遺跡の立地は太陽観測とカレンダー作りには絶好の立地だった暦作りのための冬至と立春の確認のためには 東の山茅が岳を配置カレンダーには 西の甲斐駒ヶ岳と鋸岳、それに続く山脈を採用こ...
金生遺跡 冬至確定のための天文台設置プロジェクト
この記事は、金生遺跡の日の出観測を始めた初期で、まだ縄文時代の暦知識がどの程度なのか分っていなかったので、立地が太陽観測に適切なことは分ってきたが、配石が暦観測をするような施設であ...
金生遺跡の縄文人は八節の暦の発明者
金生遺跡の年代は縄文後期から晩期とされている。年代は余り正確に確定することは出来ないが、4000年前以降として八節の暦がこの時期に作られていたとすれば世界最先端に当たるものとして良...
金生遺跡の暦とカレンダーを考える
金生遺跡の暦とカレンダーを考える1.縄文時代・金生遺跡天文台では太陽観測により、冬至から45日目を観測して八節の暦を作っていたものと考える。カレンダーは夕日の沈む甲斐駒ヶ岳から鋸岳...
金生遺跡と八節の暦
金生遺跡と「八節」の暦金生遺跡は「立春」を観測して、甲斐駒に連なる山稜で日没のカレンダ...