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ウサギ姫に恋して
野尻湖、忘れ得ぬひと夏の思い出
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盗まれたパソコンと共に多くの貴重なデータを失った。何か回復できるデータはないかと、古いパソコンを久々に起動してみたり、振り返ることもなく、かといって捨てることもしなかった古いCDの束を再生したりして、かなりのものをリカバーすることができた。中には、久しい以前に間違って削除したと思ってあきらめていたファイルが見つかるという嬉しい発見もあった。以下に再現してみよう。
2005年の夏、野尻湖の家で不思議な事件があった。数日前から、家の周りで何か小動物の気配があった。用心深く姿は隠しているが、確かに何かが家の近くに出没しているように思われた。そして、数日後、ついにその姿を見たときは、心の準備がなくカメラも手元になかったが、草むらの陰に早く動くものを確かに見た。カメラを用意してなお忍耐強く待って、ついにその姿を捉えた。
これ、何だと思われますか?わからない?これだけでは無理ですね。
では、これは?
走る姿。もうお分かりですね!地面が横に流れているのがわかりますか?そう、流し撮りです。
臆病に葉陰からこちらを窺がっているが、耳の特徴は野兎と思われる。
こちらが見ているのを意識しながら、どうも危害がおよぶ気配がないと思ったか、だんだん大胆になってきた。耳に黄色い花をつけてお洒落に気取っているところを見ると、おそらくメスではないか?
と思ったら、花を口元に持って行った。
そして、次の瞬間、むしゃむしゃと食べ始めたではないか。
ハイ、ご馳走様!ウサギが花を好んで食べるとは知らなかった。
後ろを見せた。なんと可愛い尻尾をつけているではないか。
ウサギにこんな立派な尻尾なんてあったかな?
見物人の前で寝そべったりして、このリラックスぶり。スーパーで買ってきたニンジンを投げた。こちらに近いところに落としたら、警戒して知らんぷり。サンダルを履いて降りてニンジンを拾いに行ったら、パット飛び下がって距離をあける。今度は、こちらからは十分遠く、ウサギには十分近くに投げたら、そろそろと近づいて、食いついた。そんなことを2-3日繰り返しながら、だんだん近くにニンジンを落とすようにして、しまいには僕の足元に置いても安心して食べるようになった。さらに、僕の姿を見ると、ニンジンをねだってすり寄ってくるようになった。
ついに、僕の手から直接食べるようにまでなついてきた。
後足で立って食べる時のそろえた前足がなんとも可愛いではないか。
もうなりふり構わずって感じになってきた。
近所の別荘の知り合いのお嬢ちゃんにもなついた。
もう我が家の一員のようなものだ。
上の女の子のお爺ちゃんとおばあちゃんも噂を聞いてやってきた。この写真は2005年の夏のもの。もう11年も前の失われたと思った写真が、ひょっこりCDの束の中から見つかったものだ。このご主人はもう亡くなられて久しい。
おばあちゃん(今は未亡人)が置いたリンゴ。食べるかな?
ニンジンほど好きではないが、どうやら食べる気はあるらしい。
もう、だれかれ構わずなついてニンジンをねだる。
ニンジンを食べる時には、人間のように何にもつかまらずに後足二本で立つことができる。
噂が噂を呼んで、我が家にはお客が多くなった。この日は当時まだ日本の高松にあった神学校の里親たちが中心に集まった。神学校もローマに疎開して早8年余りになる。
里親たちは皆まだ若かった。みんな仲良しで元気だったあの頃が懐かしい。私の左は平家残存五家の交野家の当主。私のキャビンから見ると野尻湖を挟んで対岸の丘の上に別荘がある。帆船模型を組み立てるのは王者の趣味と言われるが、交野氏は途中まで組み立てた帆船を私に預けて、残りを完成してほしいと言われた。
その奥方のジャネットは日米夫人同盟の会長を務めた方だが、彼女はもう天国だ。
ホイヴェルス神父様門下では私の兄弟子の加藤先生も、東大の哲学の教授を退官されて、夏は野尻湖に近い学者村にご婦人と過ごされていたが、私のあばら家にも来て下さった記録が、同じ写真ファイルに残っていた。お元気にしておられるだろうか。しばらく音信がない。
また、同じファイルに新潟の宣教家族の一家の写真もあった。
あれから11年も経った。この子達そろそろ結婚適齢期に差し掛かっている。
この夏、私のキャビンには私の恋人のウサギ姫を一目見たくて普段より大勢の人がやってきた。秋、紅葉の頃に、冬の豪雪対策をして家を閉め、私は野尻湖を後にした。ウサギ姫を思うと後ろ髪をひかれる思いだったが、来年の春また会おうねと言い残して山を下りた。
明けて2006年初夏、再び野尻湖の家を開けて、うさちゃんの現れるのを待った。ニンジンを用意して何日も待った。しかし、彼女は二度と現れなかった。冬の寒さに負けて飢えて凍え死んだのだろうか。私は癒し系のあの小さな命のことを生涯忘れることができない。私だけではない、この小さな命に出会ったすべての人が、彼女に癒され、彼女に恋して、ひと夏の淡い思い出を心に刻んだに違いなかった。