私は海外で育ったため、人種差別(いじめ)を受けてきた。当時は、すごく辛かった。でも今となっては、良い勉強になったと思える。それは、今の環境に恵まれているからだ。世界にはそれに恵まれない人が、まだ大勢いる。Black Lives Matterの主張もその一つだ。死に繋がる差別は、あってはならない。普通に暮らせないレベルは、まずい。
原因が構造的であれば、その構造を変えないといけない。警察が無抵抗な黒人を殺せるのは、それを許している構造的な問題だ。何故そんな人が警察官になれるのか?なり続けられるのか?その構造を変えられる人に変えさせるように圧力をかける必要がある。それは暴力ではなく、冷静に何故変えられるはずの人が変えないのか?を分析することだ。
そこに利害があるからだろう。構造がそうなった過程を隠すところから変えないといけない。何故構造(法律)がそう決まったのか?決まらなかったのか?それを知っている人が公にしやすく、しかも評価されるべきだ。せめて、当時の議事録を保管、誰でも閲覧できるようにする。でも、必ずそれを止めようとする人が現れる。利害をお金や名誉、評価につなげるからだ。それを決める人が、そう決めなければいい。でも、その人も同じ方法でその立場になった(出世した)ため、同じことを繰り返す。
繰り返すのは、人間も含め動物の習性だ。新しい環境でも慣れてくれば、繰り返す。気付くと毎日、同じことの繰り返しだ。まず慣れろ!慣れれば、楽になるから。この繰り返しを打破するには、一度立ち止まり、何故やっているのか、自問自答することが必要になる。どんなに楽でも、繰り返しだと気付いた瞬間、その繰り返しを無理矢理にでも止め、その理由、原因を確認する。構造や法律の繰り返し(継続)を強引に止め、確認をする。果たして、正しいことを繰り返しているのだろうか?
繰り返しは暫く続くと、感覚を鈍らせ、繰り返していることすら、気付かなくなる。そのうち、感情もなくなり、善悪もなくなる。ただ単にやっているだけだ。この状態が一番怖い。この繰り返しが、人を殺していても、繰り返される。殺し続けるのだ。
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