松井の引退表明に衝撃を受けた昨日。1992年夏の甲子園大会で、松井に5打席連続で敬遠をした明徳義塾の河野さんのコメントが出ていた。いろんな意味で高校野球球史に残る試合。河野さんは「泣きたくなるほど寂しい」と声を詰まらせた。河野さんは現在、千葉県の社会人野球クラブチーム「千葉熱血MAKING」で監督兼任選手として現役を続行中だとか。素晴らしい(^_^)/ちょうど20年前の“夏の記憶”を込めて、現在の背番号は「55」だそうです。「長い間お疲れさまでした」とスーパースターとなった同級生に言葉を贈った。
河野さんは松井の引退を28日早朝、テレビで知った。「寂しいし、悲しいです。もう彼のプレーが見られなくなるなんて。まだできるのに何でやめるんだよ、と言いたいところですが…お疲れさまでした。憧れの選手でした」。
92年8月16日。明徳義塾は甲子園2回戦で、松井を擁する星稜と対戦。明徳の馬淵監督がエースの河野さんに出した指示は、松井に対しては「全打席敬遠」だった。河野さんは監督の指示通りに、5打席全て敬遠四球。星稜は松井がバットを一回も振ることなく敗退しました。当時は大きく報じられ、高校野球の在り方をめぐって社会問題ともなりました。
私も見ていて・・・あれはなぁ・・??と感じました。ランナーがいる時ならいざ知らず(ー_ー)!!全打席敬遠とは??私の野球チームに明徳の河野さんの1つ先輩の投手がいました。酒を飲みながら議論しました。でも、勝つために松井を打たさない方法としては敬遠しかない(ー_ー)!!そうとは思いますが、高校野球ではどうやろか??そうとも考えます。
敬遠と言えば・・・私の世代では元巨人・横浜の駒田選手。奈良県大会で無敵だつた天理の投手が満塁で駒田を敬遠した伝説のような話があります。打たれるよりも押し出しで1点やった方がええ!!そんな作戦。確かに駒田もすごかった(^_^)/
話がそれましたが(苦笑)
悔いてはいないと河野さんは語るが、バッシングの嵐は18歳の高校生にとってはつらいものだったそうです。「救いだったのは松井選手が後日、『甲子園のあの試合が原点だった』と話していたこと。僕にとっても忘れられないゲームになりました」とのコメント。いろんなドラマが
ある高校野球!(^^)!
ちなみに・・・その後の河野さんは専大に進学してから外野手に転向。プロ入りはしなかったが、卒業後も社会人としてヤマハでプレーした。米国独立リーグでも選手経験を積み、2008年には森田健作千葉県知事が設立して名誉監督を務める千葉熱血MAKINGの監督兼選手に就任。昨年秋には関東クラブ選手権県大会でチームを優勝に導いているそうです。
社会人野球で自ら選んだ背番号は「55」。一ファンとして松井の打席は、巨人時代からほとんど見ているという。「スイングのスピードも全然落ちていないと思ったけど、やはりブランクが空いてしまったからでしょうか。酒を飲みながら試合を見るのが楽しみでしたが、見られなくなると思うと…。日本に復帰して本塁打を55本打ってやめてほしかった」と惜しんだ。
僕は諦めがつかないんで、極めるまで野球を続けます。まだ未熟ですし。もし、草野球でもいいならですが、対戦したいです」と将来の“再戦”の実現を夢見ているそうです。
・・・・高校野球にも人間のドラマがたくさんあります。松井選手と河野さんの20年越しの対決!!できるなら甲子園で実現してほしいですね!!
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