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森永ヒ素ミルク中毒事件発覚

もう一つ・・・忘れたはアカン事件が起きた日でした。
1955年、昭和30年の事です。私は生まれておりませんが・・・日本中に衝撃を与えた事件でした。森永ヒ素ミルク中毒事件発覚したのが今日なだったそうです。死者はなんと133人(ー_ー)!!患者数は1万3000人に及んだ事件。1955年、昭和30年の6月頃から主に西日本を中心としてヒ素の混入した森永乳業製の粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者、中毒患者を出した毒物混入事件です。
食の安全性が問われた事件の第1号とされています。この森永乳業は、1953年、昭和28年頃から全国の工場で酸化の進んだ乳製品の凝固を防ぎ溶解度を高めるための安定剤として、第二燐酸ソーダ???なるものを粉ミルクに添加していたそうです。試験段階では純度の高い試薬1級のものを使用していたそうですが、本格導入時には安価であるという理由から純度の低い工業用に切り替えられていたそうです。
昭和30年に徳島工場が製造した缶入り粉ミルク、森永ドライミルクの製造過程で用いられた第二燐酸ソーダに、多量のヒ素が含まれていたため、これを飲んだ1万3千名もの乳児がヒ素中毒になりました。なんと・・・130名以上の中毒による死亡者も出た事件(ー_ー)!!
昭和31年当時の厚生省の発表によると、ヒ素の摂取による中毒症状(神経障害、臓器障害など)が出た被害者の数は、12,344人で、うち死亡者130名。また、認められた患者についても『消費者の権利』が確立されていない時期・・・・満足の行く患者の救済措置がありませんでした。
被害者の中には、現在も脳性麻痺・知的障害・てんかん・脳波異常・精神疾患等の重複障害に苦しむ方も現在でもおられます(ー_ー)!!2014年現在で約730名が障害症状が残ったまま生活されています(ー_ー)!!若い時に就職差別や結婚差別を受けたり・・・親が亡きあと施設に入所している被害者もいるそうです。このミルクを飲ませた自責の念で、長く精神的に苦しんだ被害者の親たちも多いそうです。
食の安全・・・当時の日本・・・・いまだに苦しむ人達・・・(ー_ー)!!事件から61年が過ぎましたが・・・・若い人には知る人も少なく風化していると被害者の方がインタビューされているのが印象的でした(ー_ー)!!


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