8月31日 (日) 午後2時から東京衛生病院 (東京都杉並区) において 『 関東地区ベジタリアンの夕べ 』 と題して講演会と懇親会が開かれ、参加者は50名を超えて満席。ご参加をお断りする場面もありました。
講演題目は:
① 「中国のベジタリアン事情」 講師:垣本充 (協会代表理事)
② 「日本人ベジタリアンの現況と生活習慣病」 講師:仲本桂子 (学会評議員)
③ 「ハッピーベジタリアン」 講師:折原昭博 (協会評議員)
そして、その後はベジ料理による楽しい会食でした。食事と会話が弾みすぎて、7時解散というのになかなか帰ってもらえない状況でお世話係りの人が大変のようでした。
今回の会合の運営をしていただいた東京衛生病院/健康推進部の宮崎恭一様には、講演会場や会食メニュー等々で大変お世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
右上の料理の画像をクリックしていただきますと、画像が拡大されます。
お皿の料理は小さくて見えにくいですが、植物蛋白でできた美味しい食材を豊富に使用した料理がたくさん盛り付けられています。いずれの料理も、ビュッフェ形式で好きなものを食べることができました。
日本ベジタリアン協会 理事 塩見潤一郎
の問いかけに私も関心があります。
問いかけに対する応えの掲載を期待してちょくちょく覗いてみています、問いかけから時間がかなり経過しているようですが・・・。
日本におけるベジタリアンについてお尋ねします。
下記のような記事がホームページに記述されていますが、私はその通りだと思います。
しかし貴協会のご意見として、21世紀のベジタリアンはどうあるべきなのかの明確な記述が見つかりませんが、どこかに掲載されているのでしょうか?それとも国際ベジタリアン連合の考えに追従されるのでしょうか。代表者の方の個人的なご意見でも構わないのですが。
西洋と日本は食文化や歴史環境の違いがあるので難しいのかも知れませんが、日本人における普通の市民が普通にベジタリアン生活を持続できる指針をお示しいただければ幸いです。
地球規模でいま経済が低迷してきて、そのうえ地球環境への配慮も必要になり、生きていくことが難しくなるような不安があります。私の場合は、ベジタリアン生活をしていているので大丈夫という気持があり、かりに大恐慌になっても私や子供たちは生き残れるという自身があります。もちろん大恐慌を期待していませんが、ベジタリアンはこれからのライフスタイルだと思い直しています。
よろしくご回答をお願いします。
(ホームページに記載されているご説明)
◆ 21世紀のベジタリアン
現在、ベジタリアンの定義は流動的である。英国では畜肉を食べない人を広義なベジタリアンとする傾向がある。宗教的教義、栄養や健康の保持、生命の尊厳を旨とするアニマルライツのほかに、環境問題や食料問題、すなわち、地球環境保全や途上国援助のために菜食のライフスタイルを選択する新たな地球市民型ベジタリアンが増えつつある。
共時性/シンクロニシティは「完璧な奇跡」ですね。
塩見さんの文書がアップされたとほぼ時を同じく、私は会員の申し込みをしておりました!
会員に加わることにより、いろんな情報を得てベジ協会を構成する一員として、今までより更に生命や食に対する自分の姿勢を、それこそ繋がっている「愛」を通し、多くの方と共有できたらと思っています。
ちょくちょく覗いて見ていますが、最近はコメントのやり取りもあまりなされていないようで、ちょっと寂しい気がしています。(去年書き込ませていただいた時は、とても盛り上がって楽しかったです!)
ネットの場の良いところは、物理的な距離も感じず、ベジ意識の繋がりを実感できることですね。
せっかく世界全国が繋がっている場なので、もっと楽しく有意義な情報や会話が発展するといいなあ~、と願っています。
今後も、塩見さんの素敵な感覚での報告など、楽しみにしていますね~!
講演会もさることながら、食堂に集まられて歓談されているときにふと脳裏を横切ったものがありました。それは、健康のためだけでもなく動物愛護のためだけでもなく、ひとり一人がそれぞれの目的や背景を持って遠路はるばる集まってこられる不思議さと、大きなエネルギーでした。
これは別の見方をすると「共時性」というヤツではないか。みんなが同時に何か言葉にならない同じことを感じているのではないか、何か一つのキーワードで繋がっているのではないか。地球上の多くの人が同じことを感じはじめている。ベジタリアンの夕べというテーマなので、ベジタリアンがキーワードであることは間違いありませんが・・・。
私は宗教家ではありませんが、ベジタリアンを超えたところの、地球規模の「愛」で繋がっているとしか考えられません。